Imprimer cet article

Commenter cet article

1970年代  
中国共産党の五十周年を記念する

 

プロレタリア階級独裁のもとでひきつづき革命をおこなうことを竪持する

一九四九年の中華人民共和国の成立は、新民主主義革命の段階の基本的終結と社会主義革命の段階の開始をしめしている。毛主席ははやくも、全国的勝利の前夜にひらかれた党の七期二中総で、全国解放後の国内における主要な矛盾は「労働者階級とブルジョア階級との矛盾」であると明確に指摘した。矛盾の焦点は、社会主義の道を歩むかそれとも資本主義の道を歩むか、プロレタリア階級独裁を実行するかそれともブルジョア階級独裁を実行するか、ということにあった。

わが党の名称とわれわれのマルクス·レーニン主義の世界観は、わが党の基本綱領がブルジョア階級とすべての搾取階級を徹底的にくつがえし、プロレタリア階級独裁をもってブルジョア階級独裁にとってかわらせ、社会主義をもって資本主義にうち勝つことであり、党の最終目的が共産主義を実現することにあるということをはっきりとしめしている。二十八年にわたる英雄的な奮闘は、最後の目的地に向かう万里の長征の第一歩にすぎなかった。プロレタリア階級が国家権力を奪取したことは、革命の終結ではなく、第二歩の始まりなのである。

われわれの広大な国土は、一歩一歩と解放された。数百万の人民解放軍は、戦闘隊であり、また工作隊でもある。わが党は、自己の軍隊に依拠して、戦争をしながら、大衆を立ちあがらせ、広はんな人民とともに党の路線と政策をだんこ貫徹実行し、大地主·大ブルジョア階級独裁の国家機構をうちこわし、人民政権を樹立して、近代工業の八〇パーセントをしめる官僚資本をぜんぶ没収し、それを社会主義の国営企業にかえた。われわれはまた、思いきって大衆を立ちあがらせ、大規模な土地改革運動、反革命鎮圧運動、抗米援朝運動をくりひろげた。三年間で国民経済を回復させ、人民民主主義独裁、つまりプロレタリア階級独裁を強化した。

一九五三年、「三反(汚職反対、浪費反対、官僚主義反対)」「五反(贈賄反対、脱税·逃税反対、国家資材の窃取反対、手間抜きと材料のごまかし反対、国家経済情報の窃取反対)」をおこなって、ブルジョア階級の狂気じみた攻撃を撃退したのち、毛主席は過渡期についてのレーニンの学説とわれわれの実践にもとづいて、「かなり長い期間に、国家の社会主義工業化を一歩一歩実現するとともに、国家による農業、手工業、資本主義工商業の社会主義的改造を一歩一歩実現する」という党の過渡期における総路線をうちだした。

党の過渡期における総路線の実質は、生産手段の所有制の問題を解決し、社会主義的所有制、つまり国家所有制と勤労大衆の集団所有制をわが国の唯一の経済的土台にすることである。これはプロレタリア階級独裁をいちだんと強固にする重要な段取りである。この問題の解決にあたって、われわれは確固とした態度をとり、一歩一歩と前進してきた。農業にたいしては、いくらか社会主義の芽ばえをもっている互助組、半ば社会主義的性質の初級農業生産協同組合をへて、完全に社会主義的性質の高級農業生産協同組合にしていった。資本主義工商業にたいしては、加工·発注、統一買付け·一手販売、代理買付け·代理販売をへて公私合営、固定資本の見つもりにもとづく定額利子の支払い、買いもどし政策の実行へとすすんだ。せっかち病にとりつかれたいちぶの者は、このような方法では物足りず、移行期間があまりにも長すぎる、一気に問題を解決できればいちばんよい、と考えた。こうした「左」の偏向は教育によって比較的はやく克服された。

   前のページへ   3   4   5   6   7   8   9   10   11   12   次のページへ  

北京週報e刊一覧
トップ記事一覧
朝鮮、経済発展路線を模索
核安全協力が国際社会の差し迫った議題に
中共の幹部考査制度に関して
京滬鉄道の技術力を探る
特 集 一覧へ
第7回アジア欧州首脳会議
成立50周年を迎える寧夏回族自治区
現代中国事情
中国の地方概況
· 北京市  天津市 上海市 重慶市
· 河北省  山西省 遼寧省 吉林省
· 黒竜江省 江蘇省 浙江省 安徽省
· 福建省  江西省 山東省 河南省
· 湖北省  湖南省 広東省 海南省
· 四川省  貴州省 雲南省 陝西省
· 甘粛省  青海省 台湾省
· 内蒙古自治区
· チベット自治区
· 広西チワン族自治区
· 新疆ウイグル自治区
· 寧夏回族自治区
· 澳門特別行政区
· 香港特別自治区