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1970年代  
中国共産党の五十周年を記念する

 

社会主義革命は、資本主義を葬る闘争であり、全国の勤労人民から歓呼されたが、劉少奇一味の狂気じみた破壊をもうけた。彭徳懐、高崗、饒漱石らは反党連盟をむすんで、中央を分裂させ、プロレタリア階級独裁をくつがえそうとした。かれらの陰謀は党中央によってただちに粉砕された。劉少奇は一貫して社会主義的改造に反対した。はやくも一九四九年にかれは中央にかくして、七期二中総の決議にそむき、いたるところで「搾取には功績がある」という論調をふりまいた。五〇年代のはじめ、かれは、「新民主主義の秩序をかためる」というスローガンをうちだした。「新民主主義の秩序をかためる」とは、資本主義勢力を「かため」、発展させることであり、社会主義革命をおこなわないことであり、資本主義の道を歩むことにほかならない。毛主席は適時にこのスローガンを批判し、これはブルジョア綱領の性質をもつあやまりであると指摘した。毛主席は、『農業協同化の問題について』など一連の輝かしい著作を発表して、協同組合を大いにきりすてる劉少奇一味の右翼的なあやまりを批判し、いわゆる「先に機械化、そのあとで協同化」とか、富農経済を発展させるなどというかれらのデタラメな論調を批判し、広はんな貧農·下層中農の、協同化を実現しようとする社会主義的積極性を大いにはげました。一九五五年の後半からわずか一年あまりのうちに、全国の五億の農民は喜びいさんで社会主義の広びろとした道を歩みだした。プロレタリア階級が広大な農村の陣地を占領したため、労働者と農民のはさみうちによって、ブルジョア階級は孤立し、改造をうけいれざるをえないはめに追いこまれた。一九五六年、わが国は資本主義工商業、手工業にたいする所有制の面での社会主義的改造を基本的に実現した。この大変動のなかで、工農業生産は破壊されなかったばかりか、発展をとげ、党の過渡期における総路線は偉大な勝利をおさめた。

生産手段所有制の面での社会主義的改造が基本的になしとげられると、わが国の社会主義革命とプロレタリア階級独裁は、新しい問題に直面した。国内の主要な矛盾はなにか。階級と階級矛盾、階級闘争はまだ存在するのか。中国革命の今後の任務はなにか。劉少奇一味の解答は、「わが国で社会主義と資本主義との、どちらがどちらにうち勝つかという問題は、現在すでに解決された」「プロレタリア階級とブルジョア階級とのあいだの矛盾はすでに基本的に解決され」、国内の主要な矛盾は「先進的な社会主義制度とたちおくれた社会的生産力とのあいだの矛盾である」というものであった。これは、ベルンシュタイン、カウツキーの「唯生産力論」の、新たな情勢のもとにおけるやきなおしである。これはブルジョア階級がプロレタリア階級と階級闘争をおこなう手段のひとつである。民主主義革命の時期には、かれらは資本主義が高度に発展したあとではじめてプロレタリア階級は国家権力を奪取することができるのだといい、社会主義的改造がおとずれたときには、かれらは「新民主主義の秩序をかため」ようとし、三大改造が基本的になしとげられたあとでは、かれらはまたこうしたしろものをかつぎだして、プロレタリア階級がひきつづき革命をおこなうのを許そうとはしなかった。かれらの論法によれば、所有制の問題が解決されたら階級闘争は消失し、社会主義制度をうちかためる必要はなくなり、生産に力をいれさえすればよいのであって、社会主義制度はあまりにも「先進的」で、中国のこんにちの必要に適しないから、あともどりすべきであり、資本主義を発展させるべきだというのである。劉少奇一味はまた、毛主席にかくれてこうした黒いしろものを八全大会の決議のなかにおしこみ、資本主義の道を歩む路線を全党におしつけようとたくらんだ。

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