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1970年代  
中国共産党の五十周年を記念する

 

当時、中国共産党総書記の職にあった陳独秀は、実際にはブルジョア階級の急進的な民主派であった。かれにはマルクス·レーニン主義というものがまったくわかっていなかった。かれは中国には奴隷社会がなかったとさえ考え、マルクス主義の普遍的真理を否定した。かれは中国革命の現段階の性質がブルジョア民主主義革命である以上、ブルジョア共和国をつくるよりほかなく、また、ブルジョア階級が指導するよりほかないと考えた。かれは、中国のプロレタリア階級は「独立した革命勢力」ではなく、指導階級になることはできないなどとさけびたて、農民を「散漫だ」、「保守的だ」、「革命にくわわるのはむずかしい」などといって中傷した。かれは毛沢東同志の正しい意見をまったくうけつけず、農民、都市小ブルジョア階級、中層ブルジョア階級にたいする指導権、とりわけ武装力にたいする指導権を放棄した。統一戦線においては、すべてのものと連合し、闘争を否定した。労働者、農民大衆が立ちあがると、かれは、ブルジョア階級が肝をつぶしはしないかと、ひたすらおそれた。陳独秀とその追随者劉少奇は、こともあろうに武器を国民党にひきわたすよう武漢の労働者糾察隊に命じた。大地主·大ブルジョア階級の代表蔣介石、汪精衛があいついで革命を裏切り、労働者、農民を殺りくしたときには、広はんな大衆は身に寸鉄もおびておらず、勢いさかんな大革命は失敗に帰した。その後、陳独秀はトロツキーの反動的立場を固持し、蔣介石反動政府の樹立はブルジョア民主主義革命がすでに達成されたことをしめしており、プロレタリア階級は合法的な議会闘争をやるほかになく、将来中国で資本主義が発展するのを待って、それからいわゆる社会主義革命をやればよいと考えた。これは中国革命を解消することにほかならない。

中国共産党員は蔣介石の殺りくにたじろぐようなことはなかった。蔣介石、汪精衛、陳独秀といったこれらの反面教師は、われわれに、「中国では、武装闘争をはなれては、プロレタリア階級の地位はなく、人民の地位はなく、共産党の地位はなく、革命の勝利はない」ということをさとらせ、「鉄砲から国家権力がうまれる」というこのマルクス·レーニン主義の真理をさとらせた。革命を救うため、一九二七年八月一日に南昌蜂起が決行された。南昌蜂起の正しい面は、国民党反動派にたいして最初の銃声をとどろかせたことにある。あやまった面は、農村にいって農民大衆を立ちあがらせ武装し根拠地をうち立てることをせず、都市を中心にし、外部からの援助をたよりにしたことにある。八月七日、党中央は漢口で緊急会議をひらいて、陳独秀の投降主義路線を是正し、陳独秀の指導の職務をといた。「八·七」会議のあと、毛主席はみずから秋収蜂起を指導し、最初の労農赤軍を創設し、井岡山に最初の農村革命根拠地をうち立て、「労働者·農民の武装割拠」という小さな火花を点じた。一九二八年四月、南昌蜂起のなかで保存された部隊が井岡山に着いた。毛主席の指導のもとに、労農赤軍は中央赤色根拠地にたいする国民党の一回目、二回目、三回目の反革命の「包囲討伐」を勝利のうちに粉砕した。江西、福建、湖南、湖北、河南、安徽、広西、広東、四川、陜西など各地の遊撃戦争はいずれも、あい前後して発展した。毛主席は時をうつさず経験をしめくくり、『中国の赤色政権はなぜ存在することができるのか』、『井岡山の闘争』、『党内のあやまった思想の是正について』、『小さな火花も広野を焼きつくす』などの重要な著作をあらわし、中国での武力による国家権力の奪取は、資本主義国のようにまず都市を占領し、その上で農村を攻撃するというのであってはならず、農村根拠地をうちたてて、農村をもって都市を包囲し、最後に都市を奪取するという道を歩むほかにないということを、理論的に解明した。

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