孫文はその偉大な革命精神をもってたえず前進し、ついに新たな、正しい革命の道をさぐりあてた。それは、ロシアを師とし、共産党と連合し、農民、労働者を援助し、新民主主義革命の道を歩むことであった。かれは強固な革命的気概をもって、多くのものの反対を押し切り、断固として国民党を改組して、ロシアと連合し、共産党と連合し、農民、労働者を援助する三大政策を実行し、旧三民主義に新たな定義づけをして新三民主義を打ち出した。それは各階層の革命的人民に支持された。同盟会の指導する反清革命、とりわけ辛亥革命のなかで、孫文はきわめて高い威信をもち、革命党の人びとの一致して認めるリーダーであった。だが、辛亥革命以後、孫文の威信は低下した。かれの指導する国民党は、構成が複雑で、大衆から浮き上がっていたため、なにもなすところがなかった。国共合作を実行して、三大政策を打ち出し、新三民主義を実行しはじめてからは、孫文の威信は再び高まった。この時期はかれの一生におけるもっとも輝ける時期であった。一九二五年三月十二日北京で病没したとき、北京の数十万の市民が葬儀に参加した。全国各地でも追悼行事がおこなわれ、参加者は一千万人を超えた。孫文の名は歴史に残り、中華民族の子々孫々の敬愛の的となっている。辛亥革命参加者の多くはその後、時代の落伍者となった。孫文のように、つねに時代の潮流とともにたえず進歩するもののみが、人民のために、新たな、偉大な貢献をすることができるのである。
今日、中国は共産党の指導のもとに、新民主主義革命を経て、社会主義の道を歩んでいる。孫文が切望した民族の独立はすでに実現した。かれが望んだ、少数者の占有物でない民権も実現し、広はんな人民の民主へと発展している。孫文が早期に主張した、土地所有権の均等と晩年の主張である耕すものに農地をあたえることも、新民主主義革命のなかで土地改革の方法によって実現した。中国大陸では、孫文の三民主義のかかげた要求はつとに実現し、多くの面でそれを超えている。今日の新中国は社会主義建設の途上にある。これは孫文が民生主義の中で追求した理想にほかならない。現在、中国共産党は、科学的理論を指針として全国人民を導き、困難にめげず四つの現代化実現をめざし、中国を高度に繁栄した、高度に民主化された、高度の文明をもつ社会主義の強国に築き上げることに努めている。孫文を尊敬する人、社会主義を擁護する人、愛国心をもつ人はすべて、孫文の革命精神を学び、たえず進歩し、時代の前進に立ち遅れることなく、偉大な祖国の社会主義建設のために貢献すべきである。
孫文の死を悼む人びと。北京での送葬の一場面
(筆者は中国社会科学院近代史研究所研究員·副所長)
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