孫文の革命精神
孫文は偉大な革命家である。かれは確固たる革命的気概をもち、不とう不屈の、たえず進歩を求める徹底した革命精神をもっていた。一八九四年に「興中会」を組織していらい、革命の人生を歩みはじめた。一九〇五年に「同盟会」を組織する頃には、すでに支配層に対する幻想を完全に振り捨て、改良派とのつながりを断ち切り、大衆の期待にこたえうる強じんな意志をもつ革命家に成長していた。かれは同盟会の革命綱領を制定した。この綱領を基礎として、かれの三民主義(民族主義、民権主義、民生主義)の思想が形成される。この頃の民族主義の主要な内容は、満州族貴人に反対すること、すなわち「韃虜を駆逐し、中華を復興すること」であり、民権主義は「民国をつくる」こと、すなわちブルジョアジーの民主共和国をつくることであり、民生主義は「土地所有権の均等」をめざすものであった。それは社会主義的空想の装いをこらしているが、実質的には、資本主義の発展をめざすものであった。
孫文の三民主義は、旧民主主義の範疇に属するものであるが、当時の中国ではもっとも革命的な思想であった。孫文はこの思想によって同盟会の革命活動を指導し、革命的言論で改良派の謬論を粉砕し、革命的武力で清王朝政府の支配をくつがえした。反清革命のなかで、孫文の三民主義思想は無敵の力をもっていた。しかし、強大な帝国主義と封建勢力の連合を前にしては力不足であった。袁世凱との抗争での敗北、とりわけ、二回にわたる護法闘争(院系つまり安徽省を基盤とする軍閥と、直隷系つまり河北省を基盤とする軍閥に反対する闘い)での敗北は、旧民主主義の範疇の三民主義―旧三民主義ではもはや中国革命を指導することはできず、新たな革命の道をさぐらなければならなくなってきたことを示唆している。
臨時大総統に選出された孫文と大総統官邸
|