教訓
だが、辛亥革命は、帝国を民国と改称し、皇帝を大総統にすげかえたたけで、中国の半植民地·半封建的社会の性格を変えることはできなかった。辛亥革命以後内大地主·大ブルジョアジーの利益を代表する中国の北洋軍閥(注4)政府が中国を支配した。しかし、その後楯はやはり帝国主義国であった。孫文が構想した欧米をモデルとするブルジョア社会とブルジョア国家は中国には、出現しなかった。辛亥革命は清王朝を倒す革命という意味からいえば、成功であったといえようが、民主主義革命という見地からみるならば、失敗といわざるを得ない。
ではなぜ、辛亥革命は、民主主義革命としては失敗であったのか。それは半植民地·半封建の中国では、民主主義革命の対象は帝国主義と封建主義であったからである。この二つの勢力は反動的で腐りはててはいるが、二つが結びつけば依然として強大な力をもつものであった。当時、中国の民族資本はまだ十分に成熟しておらず、ブルジョアジーの力はきわめて弱かった。中国のブルジョアジーはすでに屋台骨のぐらついていた清王朝政府を倒すことはできたが(強大な帝国主義と封建主義の連合勢力とは到底、立ち打ちできなかった。南京臨時政府が袁世凱と妥協したことは、ブルジョアジーの軟弱さのあらわれである。
漢口攻略後、市内をパトロールする蜂起軍
では、そうした強大な敵にうち勝つ勢力は中国に存在しなかったのだろうか。実は存在していたのである。それは農民である。中国の農民は民主主義革命の偉大な力であり、農民を立ち上がらせさえすれば、民主主義革命は成功するはずであった。しかし、中国のブルジョアジーの弱さは、農民に対する姿勢にもあらわれていた。辛亥革命のなかで、革命党は、農民を立ち上がらせ、農民の土地にたいする要求を満足させることをしなかっただけでなく、政権を握った後は、一部の地域の農民が立ち上がって、悪徳地主と闘い下地租を拒否するような事態が起こると、それを武力で弾圧するようなことさえした。十分な実力もなく、また、農民を立ち上がらせることもしないのでは、帝国主義と封建勢力という強大な敵の連合攻勢を前にして、妥協以外に道はなかったのである。こうして辛亥革命は民主主義革命としては失敗に終わったのである。
辛亥革命の失敗は、ブルジョアジーの指導した旧民主主義革命が当時でもすでに時代の流れにそぐわぬものであり、中国では成功する可能性がなかったことを証明している。中国革命は、新たな道を探らなければならなかった。
|