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本誌の辛亥革命関連報道  
辛亥革命70周年を記念する

 

偉大な功績

反清闘争は、長い歴史をもっている。満州貴族が一六四四年に武力で中国全土を征服して支配体制をうちたてたのち、中国各民族、とりわけ、人口のもっとも多い、もっとも古い歴史をもつ漢族は、異民族による抑圧と差別に抗する闘いをずっと続けてきた。その後、漢族の地主階級のほとんどが清王朝に懐柔され、満州貴族と結びついて、その反動統治を維持し強化する役割をはたすにいたった。だが、漢族人民と満州族の支配下にあることをいさぎよしとしない士大夫(知識分子)層は反清闘争をやめようとしなかった。

一八四〇年のアヘン戦争以後、中国は次第に半植民地·半封建社会と化して行った。鎖国政策にしがみついていた清王朝政府は、一連の敗戦のあと、対外的には売国政策をとり、国内では人民にたいする抑圧を強化した。一九〇一年の「辛丑条約」[注释1]締結後、清王朝政府は実質的には、「洋人朝廷」と化した。中国人民の反清闘争も、以後ごく自然に列強の侵略に反対し、民族の生存をかちとる闘争とむすびついて行った。

一八五一年から一八六四年にかけての太平天国の闘いは、偉大な農民蜂起であったが、清王朝政府は外国の侵略者と手を結んでこれを弾圧した。一九〇〇年の義和団運動も偉大な愛国的行動だったが、これも清王朝政府の売国的陰謀により、八ヵ国連合軍に弾圧されてしまった。この二度にわたる敗北は、半植民地·半封建の中国では、先進的階級に指導されない農民蜂起は勝利する可能性がないことを立証している。また、一八九八(戊戌)年の「変法」の試みの失敗は、清王朝政府の実権を西太后をはじめとする保守派ががっちりと握り、しかも漢族の大地主官僚の「洋務派」がそれを支持しているという状況のもとで、資本主義を志向する維新派がなんらの実権も武力も持たぬ光緒皇帝を擁して、上からの改良をすすめることがまったく不可能であることを証明した。

1909年、ある新聞に掲載されたマンガ。主権を売り渡す清王朝政府と中国の鉄道をかすめとろうとする帝国主義列強を暴露したもの

中国の活路はどこにあるのか。「韃虜(満州貴族)を駆逐し、中華を復興し、民国を樹立し、地権の均等をはかる」ことにある。一九〇五年、孫文を指導者とするブルジョア革命派―同盟会の打ち出したこの綱領は、当時の中国の歴史的発展の要請にこたえ得るものであった。「韃虜を駆逐し、中華を復興する」、これは中国人民(改良派をのぞく)の共通の願いであったし、「地権の均等をはかる」は中国農民の長年の願望であった。同盟会はこれを綱領に盛り込んだが真に実行することは不可能であり、農民の支持をかちとるためのものにすぎなかった。「民国を樹立する」はつまり、中国にブルジョアジーの国家をつくり、民主共和制をしくことである。これは地主階級や農民が構想できるものではなく、ブルジョアジーだけが打ち出せるものであろう。したがって、同盟会は、二十世紀初頭に発展しはじめたばかりの民族資本の要求を代表する、ブルジョアジーの政党であるといえる。しかし、労働者、農民、満州族の支配に反対する地主もこれに参加していた。その主要階級であるブルジョアジーの力は弱かったが、反清諸階級の連盟的性格をもち、満州族支配に反対するスローガンで広はんな大衆を立ち上がらせることのできる強大な政治勢力であった。

当時、清王朝政府は腐敗しきっており、こうした情勢に順応して立憲制をとり入れ、改良を求めるブルジョアジーの上層を分断してだき込むといった策略を弄することもせず、ひたすら頑迷な立場を固執して立憲運動を弾圧し、立憲君主制を主張するブルジョアジーの立憲派をかえって反対の側に押しやってしまった。しかも、立憲制の準備という理由で皇族内閣をつくり、それまでずっと忠誠を尽してきた漢族大地主階級の政治代表を排除してしまった。清王朝政府がこのように孤立を深めていたとき、上述の鉄道を守る運動が巻き起こったのである。そのきっかけは立憲派が「諮議局」で政府の鉄道の国有化についてのやり方に異をとなえたことにはじまる。政府がこれを頭ごなしに押えつけようとしたため、事態はいっそう紛糾し、ついに大衆の運動に火が点くにいたった。政府は仮借ない弾圧でもってこれに臨み、さらに革命派が事態を拡大する方向へと誘導したため、鉄道を守る運動は立憲派の手では制御し得ないほどますます拡大、激化し、清王朝政府ももはや弾圧しきれなくなり、ついに大規模な武装蜂起となって清王朝政府の反動支配をくつがえし、中国のブルジョアジーがその政党―同盟会を通して指導した反清革命はついに勝利をおさめたのである。

辛亥革命は、清王朝二百六十余年の反動支配と三千年近くもつづいた中国の封建専制に終止符を打った。それは偉大な歴史的意義をもつものである。辛亥革命によって中国人民の民主主義的自覚は高まった。それ以後、袁世凱(注2)がみずから皇帝の位につこうとしたり、張勲が清王朝を復活(注3)させようとしたが、いずれも人民に反対され、後世の笑い草となっている。

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