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詩集「くじけないで」 中国語翻訳版 |
「齢(よわい)90を過ぎて詩作を始めて、毎日の生活に張り合いが出た。身体こそあちこちガタが来ているけれど、眼光はまだまだ衰えておらず、人様の心も見透かすことができる」。人生の苦楽を乗り越えてきた柴田トヨさん(102)は、92歳で詩を書き始め、99歳の時に詩集を処女出版した。この初詩集が瞬く間に日本中を風靡、150万部のミリオンセラーとなった。柴田さんの清新で力強い言葉に、日本の多くの読者が深い共感を覚え、大きな感動が生まれた。柴田さんの詩は、さらには、東日本大震災による大津波の被害で心に深い傷を負った人々を慰めた。この功績により、宇都宮市から「市長特別賞」が柴田さんに贈られた。また、150万部を突破した詩集「くじけないで」の中国語翻訳版がこのほど、中国の出版社・北京読客図書有限公司から出版された。揚子晩報が伝えた。
■腰を痛め日本舞踊を断念、詩作の道に
日本の最高齢詩人・柴田さんは、今年で102歳。2度の世界大戦、戦後の復興、バブル経済とその崩壊など、日本社会が歩んできた激動の時代を生き抜き、さまざまな苦難を乗り越えてきた。2003年、当時92歳の柴田さんは、腰を捻挫し、趣味の日本舞踊を続けることができなくなった。息子の健一さんに薦められたのをきっかけに、詩作の道に入った。創作した詩を産経新聞に投稿することを重ねるうちに、常連の投稿者となり、読者ファンが彼女の詩を待ちかねるほどの人気者になった。その後、柴田さんの詩は、NHK「ラジオ深夜便」で朗読された。道を急ぐドライバーは、ラジオで柴田さんの詩を聴き、暖かくほのぼのした心になった。2010年、柴田さんの初詩集となった「くじけないで」が出版された。国内の書籍売上トップになったことは言うまでもない。2011年の東日本大震災後、柴田さんはNHKの番組に出演、自作の詩を朗読した。当時、柴田さんは100歳になっていたが、高齢をものともせず、その暖かく心強い言葉と声で、悲嘆にくれた日本人の心を揺さぶり、彼らが絶望から立ち直るよう手を差し伸べた。
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