この取材を通じて、大平先生は言葉でははっきり言われませんでしたが、すでに成算ができていて、真摯な交渉によって双方とも受け容れられる方法がきっと見つかり、台湾問題は日中国交正常化の妨げにはなり得ないと考えておられることを、感じ取りました。
1972年7月の自民党総裁選で、田中角栄氏が勝利し、直ちに組閣に入り、大平正芳先生は外務大臣に任命されました。田中内閣が発足した三日後の7月10日、孫平化氏の引きいる中国上海バレエ団が日本公演のため東京に到着しましたが、このことに関し、大平外相について特筆すべきことがございます。
7月20日、藤山愛一郎氏がホテルニュージャパンで東京に赴任してきたばかりのLT貿易の肖向前代表と孫平化団長の歓迎パーティを催されましたが、新聞記者のわれわれは会場に入ってびっくりしました。大平正芳外相はじめ、国務大臣三木武夫、通産大臣中曽根康弘、参議院議長河野謙三らの現職の政府要人、自民党三役、野党の党首がずらりと並んでいるではありませんか。中日関係が正常化する前に、中国代表団を歓迎するパーティにこんなに多くの現職の閣僚が出席するのは破天荒のことでした。日本語に「意は言外にあり」という言葉がありますが、パーティの真意が別にあることは一目瞭然でした。
藤山愛一郎先生が挨拶をされるとき、とくに目線を大平外相へ向け、会場を見回してから、意味深長に次のように言われました。
「今日のパーティから、日中両国友好関係の道が開けるかも知れません。とりわけ、現職の大臣しかも外務大臣として、大平外相に出席していただいたことは、画期的なものだと思います。今日は両国関係がさらに前進する日になると思います。この意味で、今日のパーティにはまた新しい意義が添えられたものと思います。」藤山氏はつづけてつぎのように言われました。
「大平外務大臣はさらに、外務省は東京にある中国のLT貿易事務所と接触できる道を作る必要があると言って、将来をめぐって相談をする時に、わざわざパリやジュネーブに行く必要はない、とおっしゃいました。外務大臣のこのお言葉を伺い、とても勇気づけられました。とにかく、日中国交の回復は必ず近い将来、しかも最も近い将来に、もしかすると明後日にでも実現できるかも知れないと思います。これはわれわれの希望です。」
藤山氏のご挨拶を聞きながら、私は大平先生が外相就任直後の記者会見で言われたことを思い出していました。大平先生は「日中国交正常化のために、首相または外相の訪中が、ある段階で必要と思う」、そして台湾問題について「日中国交正常化の交渉を進めていき、それが完結する状態になった時には、日台条約が存在するとは考えられないと思う」と明言されたのです。
その年の9月に田中総理、大平外相のご一行が中国を訪問され、北京で周恩来総理との間で中日国交正常化についての交渉が行なわれましたが、そのなかで、大平先生はこの信念と立場を最後まで貫かれたことは周知の通りであります。
中日国交回復の共同声明の作成に当たっては、いろいろとやり取りがありましたが、中国側の主張する「政治三原則」の第一点については、「日本国政府は、中華人民共和国政府が中国を代表する唯一の合法政府であることを承認する」とうたって、日本側は中国の主張を受け入れ、第二点の「台湾は中国の領土である」については、中日双方に受け入れられる併記の形が取られました。条文の文言はご承知のように、「中華人民共和国政府は、台湾が中華人民共和国の領土の不可分の一部あることを重ねて表明する。日本国政府は、この中華人民共和国政府の立場を十分に理解し、尊重し、ポツダム宣言第八項に基づく立場を堅持する」となっておりますが、第三点の「日台条約の破棄」については、共同声明の中では触れられていないことに皆さますでにお気づきになられたことと思います。日本側は交渉の中で、中国側に対し、このことについてはいずれ必ず対外的に態度を表明するという姿勢を示されましたが、心配された周総理は幾度も日本側に態度表明を迫り、その上「言、必ず信あり、行い、必ず果たすべし」という論語の言葉を紙にしたためて日本側に渡したほどであります。果たせるかな、とでも申しましょうか。大平先生は交渉の中で周総理への約束通り、共同声明発表後の記者会見で、「日台条約」の終了を明確に宣言されたのであります。大平先生は次のように述べられました。「共同声明の中には触れられておりませんが、日中国交正常化の結果として、日華条約は、存続の意義を失い、終了したものと認められる、というのが日本政府の見解でございます」と。この時、私はかつて東京で大平先生に直接取材したとき「台湾問題はネゴシエーションを通じて解決できる」と言われたあの情景を思い出しておりました。中日国交回復の交渉を通じて、周恩来総理は大平正芳先生の人となりを非常に高く評価され、「大平氏は誠実で実直、無口で内向型だが、博学な方です。大平氏は誠心誠意、田中氏を補佐してきたが、まさに大平あっての田中であり、大平あっての中日国交回復だ」と周りの人に語ったほどであります。
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