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◇金婚の旅・㊦◇
~恩師を慕いミニクラス会や墓参クラス会~ |
元南京大学日語科教師・斎藤文男 · 2020-11-05 · ソース:北京週報 |
タグ: 南京大学;学校;中日交流 | ![]() 印刷 |
=写真=森田先生の陰膳を供え、母校のある地元集会所で「喜寿クラス会」(後列右端が筆者)=2018年10月17日写す
18年の「喜寿クラス会」は、地元の集会所を予約して13人が参加した。これまでのクラス会と同様、クラス会が閉会した後も居酒屋で二次会、喫茶店で三次会と何時間話し合っていても、毎回、終わりがないように続いた。卒業後60年以上経ってもクラス会を開催することができるのは、現住所の書かれた名簿があるからだ。
この名簿は、小学校を卒業して10年余り経ってからクラス仲間の一人が、森田先生に当時の子供たちの名前を読み上げてもらい名簿を再現した。そして、その人たちが昔住んでいた住所の所に行って、その後の現住所を追跡調査して出来た貴重なものだ。
名簿には現在、40人の名前と住所が載っている。名前を見ただけで懐かしくなる。この名簿は私にとって“心の故郷”の証書のようなものだ。
◇最後のクラス会当日、恩師が黄泉へ◇
私たちは清水小学校を卒業してから43年後の1997年9月、母校の近くに住むクラス仲間の家に6人が集まり、ミニクラス会を開いた。森田先生は約束の2時間近く前に来て母校の周辺を歩き回り、教え子の数人の自宅があった場所の風景を見ながら、当時の事を思い出していたという。ミニクラス会では、50歳半ばになった女性の教え子から「先生、本当はあの先生が好きだったのでしょう!」などと、当時のうわさ話を持ち出して追及したのに対して、笑いながら否定も肯定もされなかったが、嬉しそうだった。みんなは半世紀前の子供たちに戻って、思い出話に花が咲いた。
=写真=森田達夫先生(中央)は、卒業後数年ごとに開かれるクラス会に毎回出席されて、教え子たちの成長ぶりを見守ってくれた。(1991年3月17日写す)
先生は初めて赴任して担任になった子供たちと久しぶりに再会し、若い頃を思い出しながら、周辺の風景も確認出来て充分に満足されたのだろう。その日夕方、自宅のあるJR八王子駅を降りたところで、付けていたペースメーカーが止まり帰らぬ人となった。
同年9月23日に八王子市内で行われた葬儀には、20人以上の教え子が参加し、遺族の人たちは卒業後40年以上経っても多くの教え子が集まったことに、驚くとともに大変喜んでいた。私は仕事で参加できなかったので、次のような弔電で弔意を表した。
◇
仰げば尊し 森田先生 清水の学び舎 四年間
教えの庭にも四十七年 忘るる間ぞなき 幾星霜
慕い集うミニクラス会 その夜に黄泉へ旅立ちとは
次回彼岸のクラス会まで 今こそ別れめ いざさらば
斎藤 文男
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