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◇教え子たちから「我到中年」の報告④◇
~好きな日中翻訳の仕事を生涯続けたい~ |
元南京大学日語科教師・斎藤文男 · 2019-09-12 · ソース:北京週報 |
タグ: 南京大学;卒業生;中日交流 | 印刷 |
これまで多くの学生と出会ったのは、たくさんの偶然が重なった必然のように思える。私が初めて中国を訪れたのは42年前の2月で、農業関係の全国組織交流協会の訪中団に参加した。上海から南京に入り、大寨、北京などを回る2週間の長旅だった。前年に周恩来、毛沢東の両巨星が亡くなり、中国の歴史は大きな転換期を迎えていた。その時、訪れた南京市内の落ち着いた街並みや、日本の下町の雰囲気にも似た路地裏の賑わいが偶然にも、自分の子供の頃に遊んだ地域とそっくりだったので、とても印象に残った。教え子の学生たちも中国全国各地から南京大学に入学し、偶然、私が授業を担当することになった。数年間だけの交流だったが、卒業後、10年間以上も経過してから、中年に到る心境を作文に書いてもらえるのは、偶然と必然が折り重なった結果なのかもしれない。
好きな日中翻訳の仕事を生涯続けたい
オウ・ショウ
中年とは50歳のことでしょう。私は16年後、中年になります。その時を想像してみました。
外国語専門の私は、この言語と一生付き合っていくと思います。たぶん翻訳の仕事を中心にしているでしょう。学問研究より日中翻訳の仕事を熱愛していることを、十年ぐらいしてだんだん分かってきました。自分の愛していることを最初からはっきり分かる人もいるそうです。それはどれほどラッキーでしょう。一方、最初からはっきり分からず、試行錯誤してみてからようやく分かる人もいます。私は後者です。前者ほどラッキーではないかもしれませんが、好きな仕事を発見し、中断せず、今までやり続けているだけで自分もラッキーだと思います。生計のためでもなく、仕事や出世とも関係なく、ただ好きでやっていることを有意義に感じるだけのことです。
社会の中で、ある組織の中で生きる限り、自分の努力のほかに運も大事だということを素直に受け入れるようになりました。これらのことについて、以前は分かっていても、いつも不公平に感じていたかもしれません。社会人になってからの妥協だと思われるかもしれませんが、このような変化を一応生きていくための「知恵」だと思っています。
何事に関しても執着心が前より薄くなり、自分のできることとできないことをそれぞれ知り、自分を苦しめない精神的にわりと健康な生活をしているでしょう。
15年後、社会もまた大きく変化しているでしょう。頑張ってその変化についていきたいです。キャッシュレスは、今日の中国で普通になっていますが、最初はすぐにはなれませんでした。キャッシュカードの情報を入力してこそ、AlipayとWechatpayができます。これは個人情報が危険ではないかと判断して、最初はあえて使いませんでした。だが、キャッシュレスで支払う人がどんどん増えてきて、そして、その便利さが分かってから、自分もすぐキャッシュレスの列に加入しました。便利さを味わった時点で、危険という意識が弱くなってしまいました。一時の流れに振り回されてどうするか、もっと自分でいなさい(Be yourself)と言われるかもしれませんが、周りの変化に応じて変わっていくのが、人間の成長ではないかと思います。社会の中にいるかぎり、ひとつも変わらないとは考えられないです。変化を恐れずに受け入れ、それと付き合っていくというのが人間の成長過程ではないかと思います。それが不安と苛立ちに満ちた快適ではない過程であるにもかかわらず。
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