中文 | English | Français | Deutsch
 
 
ホーム 政治 経済 社会 中日交流 文化 文献 特集
ホーム >> ウェンナン先生のブログ >> 本文
  • descriptiondescription
◇「鑑真和尚に恩返しをしたい」㊦◇
~清水安三先生の訪中目的に感動~
斎藤文男(元・南京大学日本語学部専家)  ·   2017-07-24
タグ: 鑑真;清水安三;中日交流
印刷

◇長くて深い日中文化交流の歴史◇ 

安三先生は「今一度生まれ来らば、今一度同じ生涯生きむとぞ思ふ」と詠み、「もう一度この世に生まれ来たならば、医者にでもなってやはり中国へ行って中国人の足を洗わせてもらうであろう」と述懐している。 

日中文化交流の起点となっている滋賀県高島市にある「陽明園」=2017年6月14日、筆者写す 

私は南京大学で学生を相手に「私は生まれ変わっても、また新聞記者をやりたい。そして定年後は、南京大学に来てみなさんと共に学びたい」と、話したことがあった。 

学生はこれを聞いて、「生まれ変わっても同じ生涯を歩みたいというのは、自分の過去に満足しているからです。私もそのような職業につけるように頑張ります」と応えていた。 

間もなく全面的な日中戦争が始まろうとするきな臭い時期に、北京のスラム街に小学校を創立して、貧しい娘たちに読み書きを教え、さらに手工芸を習わせ、戦後は日本に引き揚げカ月あまりで桜美林学園を創立して、崇貞学園の精神を活かそうとした安三先生の奉仕精神は一体何に由来しているのだろうか。 

「それはやはり、安三先生と同じ郷里の中江藤樹の思想にあるのではないでしょうか」と、安三先生の孫で清水安三記念館の館長をしている清水賢一氏は指摘する。中江藤樹の村は安三先生の村と安曇川をはさんで隣りにあった。安三先生は小学生のころから、藤樹をあこがれの人間像としていた。その藤樹は中国王陽明の思想に共感し、日本陽明学の始祖とされている。 

前のページへ12345次のページへ
シェア:
リンク  

このウェブサイトの著作権は北京週報社にあります。掲載された記事、写真の無断転載を禁じます。


住所 中国北京市百万荘大街24号 北京週報日本語部 電 話 (8610) 68996230
  京ICP备08005356号 京公网安备110102005860号

中国語辞書: