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◇「鑑真和尚に恩返しをしたい」㊦◇
~清水安三先生の訪中目的に感動~
斎藤文男(元・南京大学日本語学部専家)  ·   2017-07-24
タグ: 鑑真;清水安三;中日交流
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◇電報でプロポーズを受け入れる◇ 

清水安三先生は美穂夫人を亡くした後、米国オハイオ州オベリン大学でともに学んだ小泉郁子女史にプロポーズの手紙を送った。小泉女史は女子教育界、ジャーナリズム界で活躍しているスター的な存在だった。北京東京間で何通かの手紙が往来した後、小泉女史から次のような電報が届いた。 

「フツツカナルモノナレド カミユケトメイジタマフガユエニ キカヲタスケ トホトキゴシメイヲ トモニハタシモオサン イクコ」 

売れっ子のスターが、当時は多くの日本人が侮蔑していた中国の北京のスラム街で小さな学校を経営している3人の子持ちの後妻になることは、誰も信じられなかった。郁子は周囲の人たち全員から猛反対された。しかし、日中全面戦争の端緒となる盧溝橋事件勃発年前の1936年6月1日、中国天津の天津教会の小さな部屋で結婚式を挙げた。 

後援者からの寄付と生徒たちの頑張りで、バラックのような校舎から石造りの立派な講堂になった(1930年代後半から40年代前半頃)=桜美林学園提供 

小泉郁子女史は安三先生と結婚する1年前、崇貞学園を訪れたことがある。彼女は中国語が話せなかったので、英語と日本語をまぜて話していると、子供たちは可愛い目を白黒させていた。2時間目の休み時間に校庭に出ていると、小学部1年生の子供が自分の習っている読本を広げ、猫や犬の絵を指さしながら「マオ」「ゴウ」と中国語で読み出した。彼女も真似て「マオ」「ゴウ」と口真似すると、子供は嬉しそうに次のページをめくった。いつの間にか全校の生徒が集まって、彼女の中国語の発音の指導をしていた。 

このような光景が毎回繰り返され、彼女はそこから共に学ぶ楽しさと「教学相長ず」を体験した。「私が日本にいて、少しずつ学説の受け売りをしているのであったら、生涯こうした甘い心境を味わうことは出来なかったであろう」と思い、中国にやって来たことは、「教育者としての完成を期すためここに遣わされたのではあるまいか」とさえ感じた。周囲の反対を押し切って、北京のスラム街の小さな学校で教えることの生き甲斐を、事前に体験していたので、安三先生のプロポーズを受け入れたのだろう。 

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