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◇「鑑真和尚に恩返しをしたい」㊤◇
~清水安三先生の訪中目的に感動~
斎藤文男(元・南京大学日本語学部専家)  ·   2017-07-24
タグ: 鑑真;清水安三;中日交流
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100年ほど前にこのような日本人がいたことを知ってとても感動した。 

「日本文化建設に生涯を献(ささ)げた鑑真和尚を始め、『建武の中興』の折には宋学が正式の観念を与え、明治維新の源流となった水戸学は朱舜水に負うところ少なくない」「恩返しをするため、中国に生涯を献げたい」と教育者で宣教師の清水安三先生(1891年~1988年)は決意して中国に赴いた。安三先生については、桜美林学園の創設者との認識しかなかった。今回、機会があって先生の郷里・滋賀県高島市を訪れ、同郷で江戸時代初期の陽明学者・中江藤樹(1608年~1648年)とともに、郷土の偉人の思想が地元の人たちにしっかりと受け継がれていることを確信した。 

◇干ばつで餓死寸前の子供799人を救済◇ 

安三先生は1917(大正6)年、宣教師として中国奉天(現・瀋陽)に派遣され、19年には北京に移り中国語を学んだ。同年秋、中国北部が干ばつによる大飢饉に見舞われた時、餓死にひんしている子供たちを救済するため被災地に入った。「馬やロバが引く大車(タアチヨ)(大八車)を連ね、目のくぼんだ子供、肋骨の数えられる子供、身重の女性のように腹が出っ張っている子供たちを狩り集め、貨車で北京まで運んだ。」飢饉地では(にれ)や柳の新芽、根を食べる人のほか、大車を引く馬やロバの糞を集める人もいた。糞は肥料にするのではなく水に浸し、こしてその(かす)を食べるのだという。

派遣された中国・瀋陽キリスト教会前で(1917年)=桜美林学園提供

1週間ほどかかって799人の子供たちを北京市朝陽門外に作った施設に収容した。子供たちには粟のかゆ、トウモロコシやコウリャンの粉を水でこねて円錐形に丸めて蒸した「窝窝頭(ウオウオトウ)と言われる食べ物を与えた。

1919年、干ばつの飢饉で食べ物を求めて家族で旅をする農民一家=清水安三記念館所蔵

収容所の経営はなかなか大変ではあったが、翌20年春には雨量もあり麦も実ったので、約束の期限である麦の収穫を待たず、子供たちに麦粉1袋を持たせ親元に送り届けた。安三先生は集めた時と同じように、自らが大車に乗って送り届けた。村々では親たちが道端にひざまづいて頭を下げ感謝をしていた。しかし、この飢饉で行方不明になった親もあり、引き取り手のない17人は、日本の万年筆製作会社、洋服屋、製紙会社などへ2年間の約束で見習奉公に送り出した。 

 北京の収容所で粟のかゆなどの食事をする子供たち=清水安三記念館所蔵

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