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◇「鑑真和尚に恩返しをしたい」㊤◇
~清水安三先生の訪中目的に感動~
斎藤文男(元・南京大学日本語学部専家)  ·   2017-07-24
タグ: 鑑真;清水安三;中日交流
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◇北京のスラム街に小学校を開設◇ 

災害児童収容所は同年5月で閉鎖した。収容所のあった北京市朝陽門外一帯は当時、北京で最も貧しいどん底のスラム街で、娘たちが体を売る相場は20銭から40銭だった。安三先生夫妻はこの娘たちを救済するには、読み書きだけでは不十分で、自活できるようになるためには何か手内職を授けなければならない、と考えた。 

 崇貞学園の授業風景(年代不詳)=桜美林学園提供

午前中は「読み、書き、勘定」を教え、午後からは安三先生の妻・美穂先生らが刺繍やアップリなどの手芸を教え、出来上がったものを売る計画を立てた。売上金からこれらを作った娘たちに20銭から30銭の工賃を払えば、貞操を切り売りするような風習も改まるだろうと願った。「高い貞操、不二の貞操という意味で『崇貞』の二字を付け、学び働く学校の意味で『崇貞女子工読学校』と名付けた。」 

災害児童の収容施設を新しい学校に予定していたが、収容所の運営が完了したら返還するよう当局から通告が来た。止むを得ず安三先生は連日、家さがしに歩き回った。しかし、当時は五四運動による排日の風潮が強く、日本人に家を貸す人はいなかった。ある日、院子(ユアンズ)(中庭)が2つあり、5棟からなる1軒の「(モォ)鬼房(グイファン)」(化物屋敷)と言われていた空き家を見つけた。 

この建物は、夜中に首のない女性2人とやはり首のない老夫婦が現れると言われ、誰も借り手がいなかった。安三先生は各室に中国語の聖書を1冊ずつ置いて、自身で宿泊して何も起きないことを確かめてから学校の体裁を整えた。 

生徒募集のポスターは、中国人が好む紅い紙に毛筆で次のように書いた。 

        ◇ 

 招生 

 初小一年級二十五名 

 学費免収 

 報名日期洋暦五月二十八号 

(筆者日本語訳) 

 生徒募集 

 初級小学一年生二十五人 

 授業料無料 

 応募受付期日陽暦五月二十八日 

         

「生徒募集」のポスターを先生自ら書いて、陽明門の街角に貼り歩いた。小学校なので7歳から8歳の子供を予定していた。24人の女性の応募があったが、中には白粉を付けた大人の女性もいた。年齢を確認すると「8歳です」と答えた。「8歳にはとても見えないが…」と確認すると、「本当は24歳ですが、ポスターに7歳から8歳の女児募集とあったから、8歳と答えなければ入れてもらえないと思ったのでそう答えた」という。自ら面接をした先生はこの女性も入学を認めた。 

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