映画の最後に「小豆子は今でも生きている」という字幕があらわれると、隣に座っていた大きな体つきの男性が、「ジーンときた」と語った。
陸川監督自身も特にリュウ・イエの役が銃殺されるシーンで涙が出るという。監督はこの映画を1万回以上見ているが、そのシーンになると毎回泣いてしまう。もしかすると監督にも他の少年と同じように戦場で敵と戦ってみたいという夢があるのかもしれない。だから監督は「南京!南京!」の市街戦の撮影にこだわり、劉助アが扮する人物を「陸」と名付けたのだろう。
陸川監督の映画は非常に冷静で、冷酷にさえみえるが、彼は感情の豊かな人のようだ。でなければ「ココシリ」のために精魂捧げ、「南京!南京!」のために4年も没頭するはずがない。インタビューを終えてからここ数日、監督の言った一言が私の耳から離れない。「価値があると思う作品を撮らないなら、4年という時間を使って何をするんだ?だったら好きな相手を見つけて子供を産んだほうがましだ!」。
陸川監督は商売上手な映画人ではない。彼はまるっきり市場を知らないし、市場的な角度からどの映画を撮るか考えていない。彼の言葉を借りれば、それは提携先が考える問題ということになる。だから監督が題材を選ぶ時には彼に衝撃を与え、彼を熱くし、彼を感動させるものだけに集中する。「ザ・ミッシング・ガン」もそうだし、「ココシリ」もそうだし、「南京!南京!」もそうだった。監督によって好みや関心を向けるものは違うが、陸川監督は「簡単かつ荒々しい」力が、いまだに人々を震撼させることに注目する。
この力によって陸川監督はだんだん脆くなり、よく涙を流すようになった。監督はこの映画を最後まで撮り切れるとは思ってもみなかったと明かす。「私たちならできる」「この映画は完成する」と毎日人には言っていたが、彼自身どうなるのかわからなかったという。「あなたには私のあの絶望感はわかりませんよ。スタッフが毎回翌日の計画持ってくるたびに、目をつむってサインしていた・・・・・・6月15日に完成した途端、撮影チームのみんなが泣き崩れた」と振り返る。
陸川監督は「どの監督でも某年某月某日に手もとが狂う。これは私たちの宿命です。わたしにもその日は来るが、それはこの作品ではないし、ましてや次の作品ではないと信じている。それは働き盛りの若い時であってほしくない」と語る。(編集KA)
「人民網日本語版」2009年4月23日 |