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本誌の辛亥革命関連報道  
辛亥革命と孫文

 

  武昌蜂起の銃声は全国各地にこだました。二ヵ月足らずの間に、湖南、陜西、山西、雲南、江西、上海、貴州、浙江、江蘇、広西、安徽、福建、広東、四川の十四の省、区が相前後して清朝政府からの独立を発表した。十二月二日、江蘇·浙江連合軍と呼ばれる革命部隊は東南の要衝南京城を攻略した。十二月下旬、革命の指導者孫文は海外から帰国し、南京各省代表会議で中華民国臨時大総統に選ばれた。一九一二年一月一日、中華民国臨時政府は南京で成立を発表した。

一九一五年に孫文と夫人が東京で日本人の友人と撮った記念写真

  しかし、北京にはまだ清朝政府があった。内閣総理は袁世凱である。武昌蜂起が起きたあと、袁世凱は部隊を率いて南下し、鎮圧しようとした。かれは、革命軍の勢力が強大で、鎮圧が効を奏しがたいのを見て、南部の革命軍側と「南北和平交渉」を行い、勢力をかき集めて革命後の全国政権を奪取しようとねらったのである。革命軍側は力不足から、北伐の成功が難しいのを心配し、袁世凱が清朝皇帝を打倒しさえすれば中華民国臨時大総統の地位を譲ってもよいと言った。袁世凱は見込みがあると見ると、権謀術策のかぎりを尽くした。清朝皇帝はやむなく一九一二年二月十二日に退位を発表した。四月一日、臨時大総統孫文は臨時政府の活動を終えてから、臨時大総統の辞任を発表した。こうして袁世凱はついに辛亥革命の成果をかすめとり、北京で中華民国臨時大総統に就任した。

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