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本誌の辛亥革命関連報道  
辛亥革命と孫文

 

孫文の新たな模索

おもしろい現象がある。一九一二年、孫文は臨時大総統をやめてから、ただちにいろいろな場で社会主義による中国発展の道について盛んに語っているのだ。孫文は、私が主張する民生主義は社会主義だとくり返し言明し、socialismは民生主義と訳した方が社会主義と訳すよりも適切だったと言っている。しかし、一九一二年七月に上海で中国社会党に対する長篇演説を行ったときには、初めから終わりまで社会主義だけを語った。さらにおもしろいのは、そのあとの孫文の経歴の中で、重大な失敗にふつかると、ほとんどつねに社会主義について語ろうとしたことだ。一九二四年、中国国民党を改組するなかで、社会主義、共産主義が中国歴史発展の落ち着く先であることを繰り返し強調している。われわれは『孫文全集』の中からこの方面の多くの文字を読むことができる。

孫文は農民の家庭に生まれ、幼いころ農業労働に従事し、少年時代から勤労人民に対する深い同情を抱いていた。かれは欧米のあちこちを遊覧してし先進資本主義国の労資間の闘争状況と社会主義運動の勃興を見て、中国で資本家による専制の弊害を避けたいと願った。かれは「私は人民大衆の生活が改善されるのを見たいのであって、少数の人がその勢力を増殖していくのは援助したくない」と語った。かれは「政府には打倒される日があり、資本家にも消滅される日がある」と見ていた。かれは晩年に耕す者に農地を与え、資本を節制するという主張を提起し、中国で非資本主義の道を探る可能性を考えていた。孫文の社会主義の主張は科学的社会主義とは本質的には違いがあるが、マルクスとマルクス主義を崇拝した孫文の思想と主張がある程度科学的社会主義の影響を受けたことは確かで疑いない。かれは共産主義が人類最高の理想であり、共産主義が社会主義の最上のものであり、民生主義が社会主義であり、共産主義であることを強調した。かれは中国の社会がたとえ数千年後の事であっても、共産主義の方向へ発展していかなければならないと信じていた。ロシア十月革命以降、孫文は「ロシアを師とする」ことを主張し、さらには中国では英米のようなブルジョア共和国ではなく、ロシアのような人民共和国を樹立することを望んでいた。

孫文の社会的、政治的理想は、辛亥革命以降、北洋軍閥によっては実現せず、また実現する可能性もなかったし、国民党政府も実現せず、実現できるはずもなかった。

一九四九年、中国共産党が全国で政権を握ったあと中国は半植民地、半封建の道から徹底的に抜け出して、初めて孫文が提起した「耕す者には農地があり」と「資本を節制する」という主張を実現する条件ができ、初めて大規模な現代化建設事業を展開する可能性が生まれた。アメリカの有名な中国近代史学者のC·M·ウィルバー氏はその著作『孫文―壮心むくわれぬ愛国者』の最後の章の末尾で「孫文が中国の解放を求めた夢想は半世紀以後にようやくしだいに実現し始めた」と書いている。これは確かに正しい結論である。社会主義に対する孫文のあこがれは今日すでに現実となっている。中国人民の四十余年にわたる模索と奮闘を経て、社会主義制度は中国に根を下ろしたのである。

1924年9月、孫文は北伐を決定した。写真は出征前の宣誓大会における孫文

あの世でこのことを知ったなら、孫文は今日の中国が改革、開放と社会主義的現代化建設の中でかちとった輝かしい成果を喜んでいるにちがいない。

(筆者は中国社会科学院近代史研究所副所長、研究員)

「北京週報日本語版」1991年No.41

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