馮昭奎 (中国社会科学院日本研究所研究員)
中日関係とは、中国と、現実にある日本との関係であり、われわれが期待し、理想とする日本との関係ではない。
中国人が「脱米国化」はすでに回避できない問題だと認識した時期はちょうど、われわれが「戦後日本の発展の経験」を改めて見直す時期でもあった。
国際事情は変わり、中日関係も変わりつつある。この変化する状況の中で、われわれはどう「一衣帯水」である隣国の日本に対処し、戦略的互恵の中日関係を築くか。これについて、以下の6項目を提案したい。
●歴史問題は中日の全てではない
歴史問題を解決するには「二つの事柄を同時に進める」必要がある。つまり、歴史問題を真剣に解決する、中日関係を積極的に発展させることだ。しかも、後者でより重要なのは、より全体的な局面を備えていることである。その理由は、歴史問題は両国関係を絶えず発展させ、両国人民の相互交流と理解を広げてこそ両国人民のレベルで真に解決できるからであり、また、1つの考え方に関する認識の問題としての歴史問題を、両国関係を発展させるための「前提」または「入口」にするのはふさわしくないからだ。歴史問題は中日関係の全てではなく、ただ歴史認識のために、滞らせてはならない、引き延ばしてはならないその他のより多くの緊急の問題の解決に影響を及ぼしたり、また放置したりすることで、さらに中日関係全体に影響が及ぶようなことがあってはならないのだ。
●「民族主義が民族主義を刺激する」悪循環に陥るままにしてはならない
「矛盾はどこにでもある」。たとえ中日関係が良好な状態にあっても、矛盾は存在するのであり、「全てを肯定する」姿勢を取るのはふさわしくない。たとえ中日関係が良好な状態になくとも、協力は存在するのであり、「全てを否定する」姿勢を取るのはふさわしくない。総じて言えば、中日関係とはまさに絶えず矛盾を解決し、絶えず新しい矛盾が生ずる過程なのだ。
高まる民族主義の感情的対立は、中日間の矛盾を対立的な矛盾へと向かわせる触媒となるかも知れない。「民族主義の世界では、過激に偏ればそれだけ正しいものとなる」。われわれは中日関係を「民族主義が民族主義を刺激する」悪循環に陥るままにしてはならない。国と国との関係は1つの相互作用の過程であり、中国がどう日本に対処するかはかなりの程度、日本がどうわが国に対処するかに左右される。その逆も然りだ。
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