アジア地域の2つの大国として、中日関係を発展させることは中日双方のことだけにとどまらず、中日両国にとっては地域ないし世界に対する責任でもある。東アジア共同体を推進する過程でも、中日は「主導権」などといった不必要な争いをすべきではない。世界で最も成功した経済共同体である欧州連合(UN)は「1国主導」のものではない。中米が対立しないという前提の下では、日本の米国追随を特徴とする日米関係も中国の対立軸とはならない。また、日米同盟は中日間にも存在できる共通の戦略的利益の妨げとはならない。われわれは中米関係と中日関係が「平行しかつ障害なく」発展していく局面を早急に開いていく必要がある。
●日本を主観的に過大または過小評価してはならない
政治には経済が集約的に表れている。日本が「経済大国」となった現実が政治に反映されるのは必然であり、日本が「政治大国」へと向かうのは、国際的な枠組みの多極化を反映したものであり、日本が国際問題でさらに大きな役割を果たしたいという要望は理解してもいいだろう。もちろん、われわれは日本が戦後の平和と発展の道から離脱しないよう期待しており、同時に、中日関係とは、われわれが期待し、理想とする日本との関係ではなく、中国と、現実にある日本との関係であることを認識する必要がある。対日関係を決定づけるものは第一に、相手の発展が当方の期待に合致するか否かにあるのではなく、われわれの国の戦略的利益ないしアジアと世界の平和と発展への要望なのだ。
日本の戦後の平和と発展を評価するだけでなく、その有益な経験も参考にすべきである。日本は欧米に追いつき、工業化を実現した最大の成功者であり、先進国と工業化に追いつこうとしている発展途上の中国にとって、戦後日本の発展の経験と教訓はやはり重視し参考にする価値がある。中日両国は自然条件や資源などで米国とは比較にならず、いずれにとっても米国にならった発展モデルはふさわしくない。中国人が「脱米国化」はすでに回避できない問題だと認識した時期はちょうど、われわれが「戦後日本の発展の経験」を改めて見直す時期でもあった。例えば、日本の高度経済成長では、ほぼ貧富の格差は出現していない。従って、客観的かつ科学的に日本の経済面の実力を評価すべきであり、主観的かつ感情的に日本を過大または過小評価してはならない。
●中日協力は国家利益を出発点に
中日の経済貿易関係の発展は経済のグローバル化の重要な一環である。工業化と情報化は中日間の協力を高めていく重要な分野であるため、大型プロジェクトを増やすことが中日経済の相互補完性を十分発揮する上でプラスとなる。協力プロジェクトの評価に当たっては、基本的に国家利益を出発点に、経済と技術の合理性に依拠し、政治や感情的な要素を過剰に混ぜ入れるのはふさわしくなく、経済または技術問題が政治化されることを避けるべきだ。増え続ける伝統的な脅威より一段と破壊性、拡散性、危険性を備えた非伝統的な脅威(例えば、テロリズムや環境破壊)に共同で対処すれば、それが21世紀の中日の関係をつなぐ強靭な紐帯、「戦略的基盤」となるのは間違いない。日本の省エネや環境保護の面での先端技術や管理ノウハウは、「科学的発展観」の普及に全力を挙げている中国にとって非常に重要な意味がある。
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