●対日外交は「遠方外交・近隣攻撃」ではない
経済のグローバル化、平和と発展がすでに時代のテーマとなっている当今の世界に対処するため、中国は世界各国に対して、「遠方外交・近隣攻撃」ではなく、また「近隣外交・遠方攻撃」でもなく、「遠方・近隣外交」の姿勢を取っている。中日両国は外交思考の面で、「近隣外交」を選択し、「近隣攻撃」を放棄することを明確にする必要がある(「近隣外交」の好例は欧州、「近隣攻撃」の悪例は中近東を参考)。
東中国海での資源開発の問題では、中日双方は「論争は棚上げし、共同で開発する」ことを貫くべきだ。仮にこの問題をめぐって衝突するようなことになれば、2人の嬰児がテーブルにあるミルクを争うようなもので、結果はミルクの入ったグラスを倒してしまうだけとなる。
われわれはいわゆる「中国脅威論」に反駁する必要があり、また自らの発展と台頭が周辺諸国にもたらす影響を主体的に意識する必要がある。これに関しては、われわれは相手を信服させる、「調和の取れた中国」が具体的に示された「国家イメージ戦略」を策定しなければならない。
中日間の各層での外交、とくに「民間外交」を今後も推進し、5項目の「相互促進」を通じて中日関係を深く発展させていかなければならない。つまり、官民の相互促進、政治経済の相互促進、中央と地方の相互促進、そして二国間関係と多国間関係の相互促進だ。国際関係に影響を及ぼす最も根本的な要素は人間である。「人の心と情の交流」と言われる文化や学術交流を強化するとともに、様々な交流を通じて相手国の自国での存在感と親近感を高めるべきだ(例えば、自国のテレビなどメディアによる相手国の紹介を適度に増やすことは非常に効果的な1つの方法)。
●参拝問題では「区別論」を貫く
中国は日本の指導者による靖国神社参拝に反対する姿勢を明確に示している。日本が過去、中国やアジア諸国に対して侵略戦争を発動し、植民地支配を行った問題では、われわれは「区別論」を貫き、「無区別論」に反対しているからだ。
あの戦争の長期性と残酷性に鑑み、中国政府は終戦後、再三にわたり「少数の日本軍国主義者と大多数の日本人民を区別する」ことを強調してきた。あの戦争は少数の権力を握った軍国主義者が中国に対して発動した侵略戦争であり、「民族と民族」の戦争ではないと強調してきた。その思いが、中日という2つの大民族の間に長期にわたって解消することの難しい深い恨みや対立が生じるのを防ぐことにあったのは明らかだ。それでありながら、小泉前首相は一国の代表として毎年、A級戦犯(軍国主義者の代表)を祀る靖国神社を参拝した。「区別論」は覆され、「無区別論」が助長され、民族主義的な感情の高まりを煽ることになった。つまり、中国では、日本人は誰でも「鬼」とみなして「反日」的な感情や過激な言動をする民衆が少数だが出現した一方で、日本では、「国家と国民は一体同心」だとする「大東亜戦争史観」が復活した。このように、靖国神社問題は政治、外交的な歴史問題となり、民族主義を誘発する最も際立った、最も手に負えない問題となってしまった。
中国の指導者による「区別論」がいわゆる「階級論」ではないのは明らかである。ここで強調されているのは、「軍国主義」と「人民」の区別であり、「人民」を「階級」分けする意思は全くないということだ。と同時に、第2次世界大戦後の欧米など反ファシズム諸国も同様の「区別論」の立場を取ったことに人々は注視した。
近年、日本国内で靖国神社問題をめぐる論議が展開されるなか、憲法の「政教分離」(近代国家の基本原則だと言える)に関する条項と日本外交の利益を擁護する視点から、指導者による靖国神社参拝に反対する姿勢を明確に示す国民が増え続けている。政治家の間でも「分祀論」など、靖国問題の解決を模索するための様々な意見が出てきた。これは「区別論」が中日両国の民衆の共通認識になっていることを意味するものだと言える。
中日関係の発展は1つの「相互連動」の過程であり、双方の努力を必要とする共同の事業である。中国は「隣人に善くし、隣人を友とする」ことを貫き、同様に日本も善をもって報いることが必要であり、中国側の誠意を読み違えてはならない。中日双方がいずれも「隣人に善くし、隣人を友とする」ようになってこそ、中日関係は真に「善のために友のために」との境地に達することができ、互恵と相互利益の新たな段階へと進むことができる。注視するに値するのは、昨年10月に安倍首相が訪中した際に発表されたコミュニケで、中日双方が初めて両国関係で「戦略」という言葉を使ったことだ。
中日両国は離れられない隣人であり、隣人の間には何のもめごともなく、互いに助け合い、言い争いを避け、犬猿の仲にならない。これが両国民衆の普遍的で素朴な願望であるのは明らかである。われわれは、中日関係を改善し発展させることこそが、真に中国の代表的な、中国が具体的に示している主流となる民意だと確信している。
「北京週報日本語版」2007年2月14日
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