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◇金婚の旅・㊥◇
~貧しくひもじかったが楽しい学校生活~
元南京大学日語科教師・斎藤文男  ·   2020-11-05  ·  ソース:北京週報
タグ: 南京大学;学校;中日交流
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◇宿題の「日記」が新聞記者への契機に◇

6年生になると4月からは毎日、日記を書いて先生に提出する宿題が出された。これは大変な負担になった。早朝に起きて1時間30分ほど新聞配達をして、学校に行って帰宅するとすぐに野球や缶けりなどで夕方まで遊び、夕飯を食べてから日記を書くのだから、何を書いたらいいのか分からず、毎日頭痛の種だった。

今も残っているA5版の小さなノートの日記を見ると、書き出したのは1953(昭和28)年4月19日。≪きょうは天気が良いので、兄と二人で荒川に釣り行った。≫と、1行半しか書かれていない。《日記は一日の出来事を簡単にまとめて書くこと。これでは六年生の文章とは思えない。》先生の赤インクの感想は厳しい。

当時のクラス仲間は58人。これだけの児童の日記を毎日見て、それぞれに感想や注意を毎回書くのだから、先生も大変だったろうが、こちらも疲れて眠いし、何を書いたら良いのか、毎晩悪戦苦闘の日が続いた。それでも、毎日書いていると、次第に慣れてきて書くことが楽しくなった。6月26日の先生の感想は≪大部良くなったように思う。》と初めてほめられた。わずか2カ月間で、これほど進歩するのだから教育は恐ろしくも素晴らしい。この頃には毎日書くことも苦痛でなくなり、むしろ楽しくなった。その後、中学、高校、大学と進んでも日記を書く習慣がつき、それが新聞記者を選択する契機になった。

「北京週報日本語版」2020年11月5日

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