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◇教え子たちから「我到中年」の報告⑦◇
~嵐に遭っても、散らずにゴールまで咲き続けよう~
元南京大学日語科教師・斎藤文男  ·   2019-09-24  ·  ソース:北京週報
タグ: 南京大学;卒業生;中日交流
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卒業生たちはやはり、中年に到る人生とそれぞれに闘っていた。青春真っ只中の学生時代には、まったく考えられなかった現実の厳しさと対峙して、自分なりに考えて進む方向を決めなければならない。自分一人では考えが及ばない時には、職場の同僚や先輩から学び、友人に相談したりしながらなんとかして、目の前に立ちはだかる壁や山を乗り越えようとしている。中には、学生時代に学んだことを思い出して、この苦境から脱出しようとしている人もいるようだ。

嵐に遭っても、散らずにゴールまで咲き続けよう

毛黎黎

この作文の依頼が来るまでは、まさか「中年」という言葉が自分と結びついているとは、全く意識していなかった。しかし、よく考えてみれば、今年で29歳になっている自分は、まさに世の中で「中年」と定義されているそのものであることに気づき、衝撃を受けた。中国には「三十而立」という言い方があるが、今の自分を見てみると、とても自立しているとは言えない。

勤務していた会社の友人と、国慶節に成都・天府広場でツーショット(右側が毛黎黎さん)=2018年10月写す

今年の7月いっぱいで、2年間勤めていた会社を辞め、今は教員免許取得の受験勉強という名目で、お暇をもらっている。正直、ここで「お暇」という言葉を使うことに躊躇っている。仕事をしていないことは確かであるが、しかし、心の中では休みの気分どころか、むしろ焦燥と恐怖と不安でいっぱい。

結婚や事業を人生の宿題と例えるのであれば、今の自分はまさに夏休みの宿題を最後の日に残してしまった小学生のような気分である。学校には行っていないが、溜まってきた宿題を前にし、「やらなければいけない」と分かっていながらも、「もう間に合わないんじゃないか」と思い、焦ってしまい、かえってやるべきことに手を付けることができず、脳内で「あの時ああすればよかった、こうすればよかった」と無駄に後悔するだけで、休みを満喫するところではない。しかし、幸か不幸か、成人の世界に「登校日」という締切はなく、最低限に必要なものさえ獲得できれば、いくらでも休みをとれる。ただ、その代わりに、後で直面しなければならないのは、先生の怒りではなく、間違った選択をしてしまい、大切な時間を無駄にしたことに対する後悔と、何者にもなれなかった情けなさである。そう思うと、更に焦燥が募ってしまう。

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