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◇教え子たちから「我到中年」の報告①◇
~中年の抱く大志と自分探しの夢を~
元南京大学日語科教師・斎藤文男  ·   2019-09-05  ·  ソース:北京週報
タグ: 卒業生;南京大学;中日交流
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クラーク博士は教育者です。また、今回の作文の募集者である斎藤文男先生も、定年退職の後、決して短くはない12年間を教育に費やし、多くの精神的な糧を当時の受講生に下さったのだと思います。

私も、今は教育者・研究者の端くれとして、仕事をこなす傍ら、育児もするような社会人になりました。「中年」にいたる実感は、まさに時間の貴重さを認識することに由来していると思うようになりました。

島崎藤村は、学校の教員として定住し、第一子をまもなく迎える時期に「齷齪」(あくせく)と自分の人生を反省しています。(「千曲川旅情の歌」より)子供が生まれてから、自分の時間が一気に減ってしまうということを実感する人は、少なくないのではないでしょうか。急に、「中年に到った」ということを認識させられるという人もいるのでしょう。日本では、「おじさん」、「おばさん」といったような言葉は、往々にしてマイナス的な意味で使われており、広告では「おとな臭」という言葉さえ出ています。毎年の甲子園の熱狂と、セミの鳴き声を背景とするアニメーションの中で永遠に繰り返す少年少女の夏は、まさに人々が少年時代の貴重さを噛み締めることを表していると思います。中国においても、「少年感」や「少女感」がますます大事にされるようになりました。

時間の大切さは年を重ねてから分かるものだと思います。いっぽう、私が中年になって、何を得られるのでしょう。愚かなまま「社会一般」に認識されるように、人生観・価値観・世界観が固定してゆくような約束の中年は、まだまだ訪れてくる様子もありません。

教壇に立つと、学生から頂く若いエネルギーと斬新なアイディア。研究の世界では、数々の新しい領域と研究方法への挑戦。家に帰ると、童心に戻れる子供との時間。人間関係においては、限りない付き合いの中で、常に立場を置き換え、お互いの気持ちと利益調整についての認識刷新…。

このままでは、孔子の「四十にして惑わず」の境界には、四十歳になってもたどり着けなさそうです。これでどうやって子供を教育するかについても、見当がつきません。

最近思うのは、教育とは、大志を語り、植え付けようとするより、自分が志を持って、小さい目標から一つひとつクリアしてゆく背中を見せることこそ、むしろ現実的なのではないでしょうか。

だったら、クラーク博士や斎藤先生のように、まさに年取っているがゆえに、一度きりの人生をより有意義に、もう一つの夢に使うというのもありでしょう。

青春はもちろん輝かしいもの。しかしながら、中年こそ抱く大志と中年だからこそ始められる自分探しも同様ではないかと思います。永遠に完成されないディズニーランドランドのように。

≪番外作文への返信≫育児と仕事を同時にこなし、身辺雑事に追われる想像以上の忙しさのようだ。そんな中、余計な作文などをお願いして恐縮していることを伝え、中身の濃い作文に感謝する返信を送った。大学卒業してから10年も経ってから、作文を書くように要請してくる教師や、それに応えて書いてくれる卒業生も、あまり例がないのではないだろうか。しかし、このような“中年賛歌”を同窓生で共有すれば、みんなの励みにもなるのと思う、と付け加えた。

「北京週報日本語版」2019年9月6日

 

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