また王晨氏は挨拶の中で次のように指摘した。「ここ数年、中国外文局の指導のもとに、北京週報社は中国情報に対する海外読者のニーズに応え、新技術の進展に歩調を合わせて海外に情報を伝える道を積極的に探り、その業務モデルを一新させ、海外向けの発行の道を切り開き、その内容の質と量、発行量はともに著しくアップした。国際環境が良好なときも国際情勢が複雑なときも、社会主義建設の時代も改革開放の新しい時代も、中国の海外向けメディアが不足しているときもそれが急速に発展している今日も、『北京週報』は終始、外国が中国を理解するための大切な窓口であり続け、中国と外国との交流の重要な場であり続けた」。
李東東氏は挨拶の中で「『北京週報』は世界に向けた英語の時事週刊誌で、中国の定期刊行物事業の中でも独特な立場と役割を具えている。北京週報社は長年にわたる仕事のなかで、海外向けの情報伝達における豊かな経験を積み重ね、経験豊富で企画力と編集能力が高く勇敢に改革の道を切り開く専門チームを養成してきた」と述べた。
中国外文出版事業局常務副局長の周明偉氏は挨拶の中で「中国が対外交流に困難を極めた時代も、改革開放で中国の経済・社会が急速に発展している今日も、『北京週報』は世界各国の読者に向けて中国の真の姿を伝える情報を積極的に数多く提供し、中国と外国が文化交流を図る重要な架け橋となり、窓口となってきた」と述べるとともに、「外文局は『北京週報』の革新的発展を全力で支持し、刊行物のクオリティをたゆまず高め、伝達方式を豊かにし、海外での発行を拡大し、刊行物の影響力を強化させ、刊行メカニズムを刷新し、よりいっそう読者のニーズに近い言語とスタイルによって、新たな時代における中国と外国の文化交流を促進するためにいっそう大きな役割を発揮していく」と強調した。
『北京週報』社の社長兼編集長である王剛毅氏は、北京週報社の歴史と現状を次のように紹介した。
中国外文出版発行事業局に属する北京週報社は、中国で唯一、外国語の週刊時事ニュースを出版している。創刊してから今日まで、『北京週報』は真剣な姿勢と完ぺきな言葉で、中国のニュースと立場をタイミングよく世界に提供してきた。その読者は五大陸のほぼすべての国にあまねくおり、外国政府やシンクタンク、学術機関、多国籍企業などが中国情報を得たり、中国の政策を研究したりする際の権威ある情報源となっている。英語版の『北京週報』以外にも、北京週報社は現在、英語、フランス語による月刊誌『中国とアフリカ』を出版している。ここ数年、『北京週報』はメディアの潮流に合わせて出版形式の見直しを進め、たゆまず読者層を拡大し、英語、フランス語、ドイツ語、日本語、中国語など5カ国語のウェブサイト版と電子マガジンを世に出し、目下、毎週のアクセス数は500万を超えている。本誌ウェブサイト版の構築は全体的なデジタル化をもたらし、50年間の本誌のデジタルデータベースを築いたばかりか、当期分の電子マガジン閲覧やネット予約購読も実現させた。新たなメディアの使用は新たなマーケットを切り開き、本誌の伝達機能を大幅に引き上げた。
1958年、正式に発刊して以降、『北京週報』は歴代の中央指導者の支持と激励を得てきた。故周恩来総理は『北京週報』の英語名を自ら決め、江沢民元主席は本誌の中日関係特集号のために「世界之窓、中国之友」という題辞を寄せ、胡錦濤主席は中国・パキスタン国交55周年記念の本誌特集号のために「中パ両国の互恵協力と中パ両国人民の伝統的友誼を促進すべく『北京週報』が引き続き貢献することを望む」との題辞を寄せた。
中国で真の「改革・開放」政策がまだ実施されていなかった1960年代、70年代にも、世界各国の中国情報に対するニーズは衰えることがなかった。異なる言語の読者に折よく中国の現状を理解してもらうため、60年代初めに本誌のフランス語、ドイツ語、日本語、スペイン語版が正式に創刊され、さらに短期間ではあったがポルトガル語版、アラビア語版、インドネシア語版も出版された。中国のニュースや立場を直接理解するためのルートがほかにないという状況のもとで、世界各国の本誌に対するニーズは増え続け、60年代中ごろには世界における本誌の発行部数は毎号130万部余りに達した。
外国語での原稿執筆とニュースの編集は困難に満ちた仕事であった。困難な仕事は、高い水準と責任感を兼ね備えた者が担わなければならない。最初は、新中国のために働こうと海外から帰国した青年専門家たちに始まり、数世代にわたる海外からの帰国者、学者らが対外向けに中国を紹介することを自らの責任として、仕事の中で中国の国情を真剣に研究し、深く切り込み、わかりやすく表現することに腐心し、正確で緻密な言葉遣いを追求してきた。半世紀の間に中国社会は自然災害に遭遇し、政治の変動も経験したが、本誌もニュースメディアとしてアウトサイダーでいることはできなかった。しかし、社として、もしくは個人としていかなる困難にぶつかろうとも、本誌は50年間2600号にわたって、1号たりとも休刊あるいは発行延期することはなかった。本誌の関係者は「責任と良識」をもって週報の名誉とメディアとしての尊厳を守った。
50年の間、世界各国から数千名に及ぶ学者、ジャーナリスト、学究の徒が週報の仕事に参加し、ある者は編集に従事し、ある者は翻訳、校閲に従事した。外国人の専門家は毎号の1つ1つの原稿に最初に目を通す読者である。彼らのテーマや編集構想に対する意見および言葉遣いに対するチェックは、本誌が読者のニーズや読書習慣に近づくのを助け、そのために本誌は真の意味の外国語マガジン、定期ニュース刊行物となった。外国人専門家の多くは、週報社に来たばかりのころは中国について何も知らなかったが、週報社を離れるころには名実ともに「中国通」となり、中国問題の学者となった者もあり、それと気づかぬまま中国と外国との架け橋を築いてきた。
月日が経つのは早いもので、週報社は日夜響くタイプライターを打つ音の中から、「朝の黒髪、暮れれば白髪」というように50年間を歩みぬき、本誌の表紙の期数は1期から51期へと変わった。指摘しておくべきことは、『北京週報』の「タイミングよく、全面的に、正確に、深く中国を伝える」という報道に対する位置づけと厳粛な報道スタイルは終始変わることがなかったことだ。50年間の本誌のページをめくってみると、異なる外国語で書かれたその時代の中国の社会発展史を見ることもできれば、50年間のうちいかなる年の「両会(全人代と政協会議)」の報道も政府活動報告も読むことができる。さらに、新中国のすべての「5カ年計画」の主な内容も見つけ出せれば、中国首脳のあらゆる海外訪問の詳細な報道も調べることができ、中国の対外関係における重要なコミュニケの全文もしくは抜粋を探すことまでもできる。外交政策、法律制度構築、重要プロジェクト、文化的な出来事、科学的な発明、考古学上の発見……週報はニュースと評論という形で、新中国の発展過程における細々とした出来事を、改革開放の偉大な進行プロセスを、生き生きと記録してきた。
中国が全面的に開放され、国際社会に溶け込む歩みを加速させている今日、本誌の「中国を伝え、中国を分析する」という使命は依然として大きい。こうした情勢のプレッシャーと市場のニーズがあればこそ、本誌は半世紀を歩んでもなお勢いを持ち続けることができ、前途はいっそう明るくなるのである。
「北京週報日本語版」 2008年9月26日 |