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私と北京週報  
北京週報創刊50周年に寄せて

 清水 由実

今年3月、北京週報は創刊50周年を迎える。

1958年3月5日、成立してまだ10年足らずの新中国の姿を外国に向け紹介する必要性から、当時の周恩来総理の肝いりで北京週報英語版が創刊されたという。そして英語版の創刊後、スペイン語版、フランス語版が発行され、1963年8月には日本語版が登場。その後インドネシア語版、ドイツ語版が創刊され、中国で唯一の多言語による週刊誌として世界150カ国以上でその役目を果たし、文化大革命(1966~1976年)の時期も唐山大地震(1976年)の時も、停刊も発行延期もされることなく毎週発行され続けてきた。

60年代末から70年代初めにかけて中国語を第一外国語に選択した私も、当時の「北京週報」によって中国の情報を知ったものだ。

当時は、日本と中国との国交はまだ正常化されておらず、文化大革命の只中にある中国は、日本から見ればいわば鎖国状態で、情報が隔絶されたミステリアスな国であった。この国を知ろうとすれば、数少ない日本の新聞社の特派員報告以外には、まず、「中国画報」の写真によってその姿を知り、それで興味を抱けば「人民中国」を読んでもう少し詳しい情報を知り、さらに関心が深まれば「北京週報」で政治的、理論的な側面を知る、といった手順で情報を仕入れるしか方法はなかった。単純化して言えば、「中国画報」は中国入門編、「人民中国」は中級編、そして「北京週報」は上級編といったところだ。そして「北京週報」は上級編にふさわしく(?)、たまに赤文字のカラー印刷はあったものの、普段は小さな白黒の文字ばかりがぎっしりと並ぶいたってお堅い読み物だった。

しかし、1978年から始まった改革開放政策のもとで大変貌を遂げた「新新中国」にとって、「新中国」の姿を世界に知らせるという当初の目的はほぼ遂げられたということだったのか、21世紀に入った2001年、「北京週報」は英語版を残し、日本語版を含むそれ以外の言語のペーパー版は姿を消す。そして、これら日本語版、フランス語版、ドイツ語版、スペイン語版はすべてネット版のみとなる措置がとられた。

ちょうどこのとき、同誌の専門家として現場に居合わせた私は、ペーパー版がなくなることを残念に思う一方で、新しい時代に堰を切ったように次々に生まれてくる新しい言葉の翻訳や校閲に戸惑っていた。

50年という歳月は、生まれたてのスベスベの肌をした赤ん坊が、顔にシワを刻むようになる変化の歳月だ。当然、北京週報の中身も大きく変化した。60年代末から70年代にかけてのきまり文句は姿を消し、政治中心の内容からすべての分野をカバーするものへと姿を変え、今では動画ニュースまでも手がけている。

ネット版の文章は、現れては消え、消えては現れる儚い幻のような側面があり、ペーパー版のものとは異なり、資料として残すことを意図しない限り、残っていかないものかもしれない。しかし、過去に週報が持っていた「資料」や「データ」としての記録的役割は今後も果たしていく必要があるのではないかと思いつつ、今日も新たに生み出されるさまざまな言葉に悪戦苦闘している。

これから50年先、北京週報がまだ存続しているかどうか、私はそれを見届けることはできないが、一度ここに身を置いた者として、存続していてほしいと願わずにはいられない。たとえ、すでになかったとしても、「現代の“司馬遷”」がこの中国大変貌の時代を「現代の“史記”」として正確に記録しておいてほしいと思う。その記録媒体がペーパーであれ、CDであれ、ブルーレイディスクであれ、はたまた想像もつかない「次次次世代」ディスクであれ。

「北京週報日本語版」 2008年4月

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