◇「与人為善」の語源調べ真意を探る◇
現在、日本の大学院博士過程に在籍しているS・Hさん(女性)は、アルバイトをしていた会社の忘年会で、年配の日本人から「国籍は日本に変えたのかい」と訊かれた。「国籍は中国です。」と答えたら、その日本人は「中国の国民は嫌いなんだ。」と言った。
『あなたは、中国人のことを知っているのか』『どのようなところが嫌いなのか』と主張したかった。幼いころから親の教えられた「与人為善」を処世訓としていたS・Hさんは、頭が真っ白になるほど憤慨したが、《ここは忘年会だし、考え方はそれぞれだ。和やかな雰囲気を壊してはいけないとぼんやり思って黙ってしまった。》
このことがずっと心の隅に残り「与人為善」の解釈は正しかったのか疑問に思った。語源を調べ、これまで確信してきた「善」の無敵さと、「争」の無益さについて考えを改めることにした。
《それ以来私は変ろうと頑張ってきている。これまで学んだ知識や論理の仕組みで力強く堂々と話し、日本語や英語を駆使して母国の真実をより多くの外国人に伝えようとするようになった。正確な情報を分かち合い、より多様性のある社会を築き上げるために力をささげる、これこそ「与人為善」の真意ではなかろうか。》
この作文を受け取って私は、不躾な年配の日本人の言葉から受けた彼女の衝撃と、怒りの反撃を抑えた悔しさを推し量り、日本人として陳謝した。そして、その場で感情的になって論争するより、後日、宴会の幹事なり会社の責任者に対して事の顛末を話し、「国籍を変えることなどない」ことをきっぱりと告げ、非礼を詫びてもらったらどうか、と返信した。
楽しい現役の学生時代に、卒業後のことは考えが及ばないが、級友の絆は深まる(2012年6月)
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