~「“不惑”に期待」「処世訓の真意」「親孝行は早めに」~
斎藤文男(南京大学日本語学部専家)
◇想像以上に素晴らしい「番外作文」◇
過去11年間に巣立った卒業生から募った作文は、想像していた以上に素晴らしい内容だ。試行錯誤しながらの自分探し、後輩への助言、そして社会体験からの感想などさまざまあった。卒業した後、作文を書いても点数がついて成績が良くなるわけではない。そんなことを度外視して書いてくれた卒業生に私は心から感謝したい。彼ら、彼女たちは今、20歳代後半から30歳代前半だが、やがては中国の大地に天高く樹高を伸ばし、枝をいっぱいに広げ、やがては落ち葉を根元に返して次世代の成長を助けることだろう。「卒業番外の作文」を読んで、私もこれで南京大学を卒業できることを確信した。ありがとう、私の学生たち。作文を書いてくれたお礼に代えて、さらに何人かの作文を紹介したい。
◇自己の形成に悩み、将来に期待◇
《大学を卒業してから「自己の形成が意外と難しい」ことが分かった。》というのはS・Yさん(男性)だ。
《学生時代はやりたいことをやって、できたかどうかは別で、「自己」という存在があったと言えよう。今はその時と違って、「自分なりに」「思うままに」生きたいが、それができていない。学生から社会人になり、いろいろな制限が出たという意味ではない。そもそも「自己」というものがまだこの身に形成されていないような感じが、ここ数年している。》
《休暇の時、旅行に行くか行かないか、よく迷う。「旅行は面白い→行きたい→だから行く」の思考過程も、何か問題があるように感じている。……旅行ぐらいのことでも、自分のポリシーがこんなに動揺していた。まさに「自己形成ができていない」状態だ。》
S・Yさんは今30歳代前半で、妻と子供が1人いる。建築家・安藤忠雄氏の本を読み、自分の気持ちと共通する部分を感じ、自己肯定になったという。
《中国男性の平均寿命が75歳ならば、人生の半分が過ぎ去ったことになる。それでも体の中に「一本貫いた筋」がまだ出来ていないのだ。こう思う度に、ちょっと悲しい気持ちになる。》40歳を迎えたとき、「不惑」でいられるよう心配しながら期待している、と悩みながらも将来の自分に希望を託していた。
軍事訓練で始まった憧れの大学生活も、あっという間に4年間が過ぎる(2010年9月、南大仙林校舎で今日の訓練を終えて)
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