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日本の専門家「日本は隣国の正義の声に耳を傾けるべき」
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· 2016-08-15 |
タグ: 安保法;安倍政権;政治 | 印刷 |
日本の敗戦・降伏から今日8月15日で71年になる。日本の安倍晋三首相が戦後70年談話を発表してからすでに1年が過ぎた。この1年間に日本社会には一体どのような変化が生じたのだろうか。(文:石田隆至・明治学院大学国際平和研究所研究員)人民日報が伝えた。
昨年8月14日の戦後70年談話発表後、何人もの中国の友人から、談話の内容をどう理解すべきかと問われた。彼らがことのほか注目した言葉は期せずして同じだった。「戦争とは無関係な子や孫、そしてその先の世代に謝罪を続ける宿命を背負わせてはならない」。
この言葉は字面上、2つの解釈ができると思う。第1の解釈は、われわれの世代は心から謝罪し、戦争被害国との間に安定した信頼関係を築いており、次世代が謝罪を要求されることはもうないというものだ。第2の解釈は、すでに十分に謝罪したのだから、われわれの世代は今後被害国が何を言おうと、次世代はもう謝罪しないと宣言するというものだ。現在の日本政府及び民間レベルで歴史修正主義が蔓延している状況を考えると、後者の解釈がより真意であることが懸念される。
昨年、日本政府は国会で安保関連法を強行可決した。日本の歴代内閣は、憲法は集団的自衛権の行使を認めていないと考えてきた。だが安倍政権は日本国憲法第9条が、日本による再度の侵略戦争発動を阻止するためであるという歴史的事実を顧みず、「中国の脅威」を口実に、「反省」という言葉を口にしながら憲法9条を骨抜きにした。憲法改正の手続きを経ずに、事実上海外で武力行使を可能にする。これは憲法を否定する暴挙だ。
昨年12月末、戦後残されてきた従軍「慰安婦」問題で日韓両政府は合意した。真相究明と日本政府の法的責任の追及という被害者の要求は否定されたのに、「最終的かつ不可逆的」な和解となった。最近、日本政府は「賠償金ではない」と特に繰り返し主張し、この歴史問題は「終った」と標榜している。これと比べ、広島と長崎の被爆の歴史については「終っていない」との態度を堅持し続けている。歴史に対する日本政府の態度が加害と被害でこのように全く異なるのは不思議に思われる。
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