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「中国ロケット軍」、その前身と新生
本誌記者 馬力  ·   2016-03-18  ·  北京週報
タグ: 軍改革;ロケット;政治
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「中国ロケット軍」の前身

時は1956年まで遡る。「中国ロケットの父」銭学森氏は黒板に「火箭軍」(ロケット軍)と書き記した。その意味は「ロケットを装備した部隊」。銭氏は中央軍事委員会に新たな軍種の創設を提案していたのである。

中国人民解放軍戦区成立大会が2月1日、北京で盛大に開催された。写真は東部戦区、南部戦区、西部戦区、北部戦区、中部戦区に軍旗を授与する習近平中共中央総書記(国家主席、中央軍事委員会主席)。

総参謀部作戦部空軍処参謀の李旭閣氏(1985年に第2砲兵司令員となる)の記憶によると、銭学森氏の講義は1956年元旦の午後3時に行われた。賀竜、陳毅、葉剣英、聶栄臻ら元帥たちが揃って聴講した。そしてこの講義によって、「中国ロケット軍」の創設が可能になったのである。

だが、ミサイルもないのにミサイル部隊は創設できない。そこで銭学森氏の主管の下、「第五研究院」など科学研究チームが組織され、ミサイルなど戦略兵器の研究開発に専門に取り組んだ。旧ソ連がすべての専門家を引き上げさせてから間もない1960年11月5日、「東風DF-1」短距離弾道ミサイル(旧ソ連の「R-2」ミサイルを模したもの)の発射に成功した。この成功は銭学森氏など前世代の科学研究者一同を奮い立たせた。

実際には、中国は1959年にはすでに最初の地対地ミサイル部隊を秘密裏に設置していた。だが戦略ミサイル部隊が正式に創設されたのは1966年7月1日になってからのことだ。機密保持の必要から、この部隊は「戦略ミサイル部隊」という国際的な一般名称を用いず、周恩来総理が自ら「第2砲兵」と命名した。

創設当初、第2砲兵は確かに兵種に分類され、級別は装甲兵や対化学戦兵などの兵種と同じだった。1980年代中頃になってから、百万規模の大幅軍縮の際、他の兵種の司令部はすべて廃止され、その業務は総参謀部兵種部に編入された。そんな中、唯一第2砲兵だけが、司令部が廃止されなかっただけでなく、正大軍区級に格上げされた。第2砲兵の司令員と政治委員はいずれも上将(大将と中将の間の階級)となり、また司令部、政治部、後方勤務部、装備部門を有し、装備の研究開発と予算も独立したものになった。第2砲兵は陸海空の3軍と並列で扱われる「第4の軍種」となった。しかし部隊名称は依然として「第2砲兵」のままで、「兵」が「軍」に改められることはなかった。

1984年10月1日、中華人民共和国建国35周年閲兵式の際、乳白色の戦略ミサイルが初めて長安街に姿を現し、「唯一戦争を経験していない軍種」、第2砲兵が神秘のヴェールを脱いだ。

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