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中日交流の「きっかけ作り」に奮闘 北京日本文化センター
本誌記者 成瀬明絵  ·   2018-07-10
タグ: 文化交流;北京;中日交流
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北京日本文化センターの高橋耕一郎所長

「日本を中国に紹介する」。このたった一言に、どれだけの苦労や努力が隠されているのだろう。国際交流基金北京日本文化センターは中国全土での様々な活動を通じて、この大きなミッションに取り組んできた。 

「言うのは簡単ですが、それをやろうと思うと困難も多い」と語るのは所長の高橋耕一郎氏。この度は北京日本文化センターの中国での歩みについて、高橋氏に話を伺った。 

中日国交正常化から始まった中国との縁

北京日本文化センターは、元々は1994年に国際交流基金の北京事務所として設置され、2008年に中国の文化部と日本の外務省で文化センターの相互設置を取り決めた協定が結ばれて正式に発足した。しかし、中国との縁はそれよりもずっと前から始まっていた。 

1972年、中日国交正常化を受け、中国では更なる日本語人材育成の必要性が叫ばれていた。当時外務大臣を務めていた大平正芳氏は「一人一人直接教育するのではなく、日本語教師を育成すればいいのではないか」と考え、1979年に首相として訪中した際に日本語教育の支援を約束した。そして1980年、中国教育部と国際交流基金の合弁事業という形で、現在の北京語言大学に日本語研修センター(通称「大平学校」)が設置されることとなったのだ。「大平学校」では5年の間に中国全土から集まった日本語教師約600人への再研修が行われ、非常にインパクトのある事業となり中国政府もこれを高く評価した。1985年には「大平学校」の流れを受け継ぐ形で、現在の北京外国語大学に北京日本学研究センターが設置された。 

「中国では1978年に大学入試が復活しましたが、文化大革命後の大卒者はまだまだ少ない時期であり、日本語が出来て教えられるだけではない高等専門人材の養成をする必要があると考えました。そこで当時としては大変珍しかった日本語関係の修士課程として北京日本学研究センターが設置されることになったのです」。 

北京日本学研究センターは現在に至るまで高等人材を次々と輩出してきたが、「いつだって更なる発展を目指している」と高橋氏は語る。 

「設立当初は修士課程・博士課程の修了者はほとんどいませんでしたが、今や中国では修士課程は半ば大衆化してしまっている時代です。そういった中で『更なる発展』をどのように目指してゆくかを検討している段階です。北京日本学研究センターは時代と共にこれからも前に進んでいきます」。 

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