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「私とは何か」を探して 作家・平野啓一郎氏インタビュー
  ·   2019-07-17  ·  ソース:人民網
タグ: 文学;小説;中日交流
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4月21日北京で行われた中日作家懇談会(撮影・張靖)

中国の若者がしばしば自嘲気味に自分に問いかける「私とは何か」という問題について、作家・平野啓一郎氏は10代の頃からの自身の悩みとして問いかけ続けてきた。

その答えを見つけるべく、彼は貪るように本を読んだ。そして答えを求め続けた末、作家になった。彼の処女作「日蝕」は日本の文壇を揺るがし、当時最年少で芥川賞を受賞し、「三島由紀夫の再来」と言われた。デビューから20年以上にわたり平野氏は創作し続け、受賞作品も少なくない。しかしさらに重要なのは彼が「私とは何か」という問いに自分なりの答えを見出していることだ。

「私とは何か」 

まだ肌寒さが感じられる4月、平野氏はこの10年間でおよそ5回目となる北京を訪れた。

4月21日、彼は中日作家懇談会に日本作家団の団長として参加し、懇談会であいさつを述べるとともに、後半の座談会ではパーソナリティも務めた。中国側の作家代表として挨拶したのは莫言氏で、懇談会にはほかにも鉄凝氏や余華氏、李洱氏、魯敏氏、阿乙氏といった中国の有名作家たちも出席していた。

平野氏は出席した作家たちの中で、一見すると「最も作家らしく見えない」作家だった。この日、平野氏はカッチリとした黒のジャケットに黒のTシャツ、そしてジーンズにスポーツシューズというファッショナブルないで立ちで、ダークブラウンに染めた髪に、胸元には牙のアクセサリをつけていた。

実はそんな平野氏は音楽にも造詣が深く、特にエレキギターは「速弾きの名手」と言われるほどの腕前なのだ。

村上春樹や東野圭吾といった日本人作家と比較すると、平野氏の中国での知名度はまだそれほど高くない。今年出版したばかりの「マチネの終わりに」を入れても、中国で翻訳出版されているのはわずか5作品だ。

しかし日本国内において、平野氏は「三島由紀夫の再来」と言われている。その点について平野氏は、「三島は10代の頃、最も影響を受けた小説家なので、光栄だがファンには申し訳ない気持ちもある」としている。そして「金閣寺」や「仮面の告白」は今も最も好きな小説としながらも、「政治思想的には、現在の私は、彼とは対極的な位置にいる。三島はなぜ、天皇主義者として自決したのか、という問いに答えるための『三島由紀夫論』を、来年の没後50年に合わせて刊行予定だ」とした。

「作風の目新しさと独特さ、そして現代を反映した内容から、平野氏は日本の若い読者の間で高い影響力を持つ」、これは平野氏に関する中国での報道でよく目にする評価だ。しかしもっと深いところにある原因は、平野氏が現代人が直面する問題に向き合い、多くの人々が内心抱えている疑問に答えようとしているからではないだろうか。

平野氏の作品の多くはいずれも人に目を向け、人そのものを探求している。その点について、「現代の小説家は、常に現代人の困難と向き合うべきだと考えている。そして、私にとって重要なテーマは、生と死だけであり、その両方にとって、アイデンティティの考察は極めて重要」だとする平野氏は、「私とは何か」という疑問を避けて通れない問題の1つだとしている。

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