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改革開放に関するキーワード:基本方針の章
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· 2018-11-21 |
タグ: 改革開放;基本方針;キーワード | 印刷 |
「一つの中心、二つの基本点」
「一つの中心、二つの基本点」は、社会主義初級段階における中国の特色ある社会主義建設についての党の基本路線の核心的内容で、すなわち、経済建設を中心とし、四つの基本原則を堅持し、改革開放を堅持することで、第13回党大会で提起・確立された。第15回党大会は「二つの基本点」の堅持をそれぞれ「立国の本」と「強国の道」とに概括し、第17回党大会は「一つの中心」の堅持を「興国の要」と概括した。中でも、経済建設を中心とすることは興国の要で、党と国家の隆盛・発達、長期にわたる太平と安定の根本的要求で、社会主義初級段階全体において党と国家は始終経済建設を中心的活動とし、各活動が必ず経済建設に従い、それを支えるようにし、生産力の発展を最も重要な地位に置かなければならない。四つの基本原則は立国の本で、党と国家の存続と発展の政治的礎石で、全国各民族人民が団結・奮進する共同の政治的基礎で、全国人民の根本的利益の在りかで、社会主義現代化建設事業の政治的よりどころだ。改革開放は強国の道で、経済建設に強大な原動力を与え、現代中国の命運を決定する歴史的な政策決定で、党と国家の発展と進歩の活力の源泉だ。従って、「一つの中心、二つの基本点」は相互に貫き、相互に依存し、分離できない統一体だ。経済建設という中心を離れれば、社会主義社会の全ての発展と進歩は物質的基礎を失うし、四つの基本原則と改革開放を離れれば、経済建設は方向を失い、原動力を失うのだ。
「一つの中心、二つの基本点」は、共に中国の特色ある社会主義建設という偉大な実践に統一されており、中国の特色ある社会主義理論の革新的な成果で、非常に重要な地位を有していて、いかなる場合にも動揺してはならないものだ。
「三歩走(三段階に分けて進める)」発展戦略
「三段階に分けて進める」発展戦略は中国共産党第11期中央委員会第3回全体会議以来、中国共産党が全国人民を統率して社会主義現代化建設の実践を行う中で徐々に形成されたものだ。1987年10月に開かれた第13回党大会は社会主義初級段階理論から出発し、鄧小平氏が1985年以来思考を重ねに重ねてから打ち出した発展戦略の結論を結合し、第12回党大会が提起した経済発展の戦略的な布石をより豊富にし発展させ、経済建設の「三段階に分けて進める」発展戦略的な布石を確定した。これは社会主義初級段階の主要な矛盾、すなわち人民の日増しに増大する物質・文化面の需要と遅れた社会生産の間の矛盾の変化を糸口とし、社会生産の発展レベルと相応の人民の生活レベルをメルクマールとし、経済建設の戦略的段取りを定義してそれぞれの段階で達するべき目標を確定した。
「三段階に分けて進める」の具体的目標は次の通りだ。第一歩は1981年から1980年代末までに国民総生産(GNP)を1980年の2倍にし、人民の衣食の問題を解決する。第二歩は1991年から1990年代末までにGNPをさらに2倍に増やし、人民の生活が小康レベルに達するようにさせる。第三歩は21世紀中葉までに1人当たりのGNPが中程度の先進国並みのレベルに達するようにさせ、人民の生活を比較的豊かにし、現代化を基本的に実現する。
「三段階に分けて進める」経済発展戦略は中華民族が百年にわたって富強を求める壮大な目標に対し積極的かつ穏当な計画をつくり、党と人民が勇敢に邁進する偉大な理想を体現しているだけではなく、現実を踏まえて客観的法則を順守する科学的精神を反映している。これは中国共産党が中国の特色ある社会主義建設の法則を探索する重大な成果だ。「三段階に分けて進める」経済発展戦略は中国の社会主義初級段階建設の経済綱領で、中国の社会主義初級段階の基本国情と経済発展の内在的法則から出発し、中国の経済建設の歴史的任務と奮闘目標をより明確にし、新時期の党と政府および全国各民族人民が奮闘する総目標になった。
「三段階に分けて進める」戦略目標を実現するには、改革の深化と開放の拡大という二つの基本的なルートがある。改革は「活」の一文字を際立たせ、社会全体の財産を生み出す活力を引き出す。開放は「争」の一文字を際立たせ、プロジェクト争い、資金争い、技術争い、人材争い、市場争いをする。「三段階に分けて進める」戦略目標を実現する根本的な保証は現代化建設を指導する能力とレベルを引き上げることだ。
鄧小平の南方談話
1980年代末から90年代初めの中国は、社会主義改革開放、社会主義現代化の道とモデルの模索に当たって進まなければ後退する臨界点にあり、前進の方向を選択する十字路にあった。もし速やかにこの苦境から脱出せず、良くない傾向の進行を放任すれば、中国共産党第11期中央委員会第3回全体会議以来、党が確立した正しい思想路線、組織路線、政治路線がねじ曲げられ、第13回党大会で確立した社会主義初級段階の基本路線が逆転され、社会主義改革開放事業が中途半端になり、中国の社会主義事業は再び正しい航程から離れてしまったかもしれない。
この大事なところに、1992年1月18日から2月21日まで、当時すでに正式に中央指導者のポストから離れていた党の第2代指導者の核心で、改革開放の総設計師だ鄧小平氏が、88歳という高齢で、党と人民の偉大な事業に対する深い期待を頼みとして、強烈な政治意識、戦略意識、憂患意識をもって、前後して武昌、深圳、珠海、上海を視察し、一連の重要講話を発表した。これは通称「南方談話」といわれる。
1992年3月26日、『深圳特区報』はいち早く、「東方より風来たって満眼春なり――鄧小平同志の深圳での記録」という重要社説を発表し、鄧小平氏の南方談話の要点となる内容を集中的に詳述した。この談話は、党の「一つの中心、二つの基本点」の基本路線を揺るぎなく貫徹・執行すること、中国の特色ある社会主義の道を断固として歩むこと、有利な時機をつかみ改革開放の歩調を加速すること、精力を集中して経済建設を行うこと、何が社会主義および社会主義の本質だのかなどの問題を重点的に解決した。談話は人々の思想に普遍的に存在する懸念に対して、改革の深化、発展の加速の必要性と重要性を重ねて言明し、中国の現実から出発し、時代背景をかんがみ、10年余りの改革開放の経験・教訓を深く総括し、一連の重大な理論と実践の問題において、新しい観点を打ち出し、新しい構想を述べ、長年、幹部・大衆の思想を混乱させ、束縛してきた数々の重大な認識の問題に解答した。それは、全党と全国人民に与えられた最も貴重な政治的委託だった。
「南方談話」の発表は鄧小平理論の形成と成熟を示し、中国の改革開放の第2のうねりが盛り上がり、中国の改革が新たな段階に入ったことをも示した。この一連の重要講話は、中国の改革開放の中で「何が社会主義だか、どのように社会主義を建設するか」という重要な問題に適時に深く回答し、極めて大きく人々の思想を解放し、人々の社会主義の信念を固め、極めて大きく中国の改革開放のプロセスを推し進め、中国の特色ある社会主義建設の道における里程標となった。「南方談話」は中国の1990年代の経済改革と社会の進歩に鍵となる推進作用をもたらしただけでなく、21世紀の中国の改革と発展にも同じように計り知れない推進作用を生んでいる。
持続可能な発展戦略
中国は人口が多く、資源が相対的に不足している国だ。改革開放以来、党中央と国務院は中国の持続可能な発展を高度に重視し、1994年3月に国務院は「中国アジェンダ21」を採択して持続可能な発展戦略の実施を決めた。2003年初め、国務院は「中国の21世紀初めにおける持続可能な発展のための行動要綱」を公布し、向こう10年から20年の持続可能な発展の目標や重点、保障措置を明確にした。第15回党大会、第16回党大会、第17回党大会、第18回党大会は持続可能な発展戦略に関する具体的な要請を出した。第19回党大会報告で持続可能な発展戦略は小康社会の全面的完成の決戦に勝利するために断固実施すべき七大戦略の一つに位置付けられた。持続可能な発展戦略は社会、経済、人口、資源、環境の相互調和と共同発展に基づく理論・戦略で、それは主に生態系の持続可能な発展、経済の持続可能な発展、社会の持続可能な発展があり、自然環境の保護を基礎に、経済発展の促進を条件に、人々の生活の質の改善と向上を目標として、現代人のニーズを相対的に満たせるようにするが、後世の発展に危害を及ぼしてはならないということを旨とする。中国の持続可能な発展戦略の指導思想は人間本位の堅持と人間と自然の調和を軸とし、経済発展を中核とし、人民大衆の生活の質の向上を出発点とし、科学技術イノベーションと体制の刷新を突破口として、経済・社会と人口、資源と生態環境の調和をたゆまず全面的に推し進め、中国の総合国力と競争力を絶えず高めるというものだ。第19回党大会報告は持続可能な発展戦略に新たな時代の内容を付け加え、「富強・民主・文明・調和の美しい」社会主義現代化強国という目標を初めて提起した。これにより、エコ文明建設は新時代の中国の特色ある社会主義の重要な構成部分となった。
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