二、一・二八事変
九・一八事変後、日本は国際社会の注意をそらすために、中華民国政府に屈服を迫ることを企て、1932年1月28日に上海で侵略戦争を引き起こした。これは歴史上「一・二八事変」と呼ばれている。中国軍第十九路軍は軍長蔡廷鍇と総指揮蒋光鼐の指揮の下、勇敢に抵抗した。
中国の軍民の頑強な抗戦により、日本軍司令官は三度交替せざるを得なくなり、上海を全面占領できなかった。これにより、日本は中国国民政府と交渉して「淞滬停戦協定(上海停戦協定)」を締結し、事態を収拾するしか手がなかった。