薩迦(サキャ)寺の概要
薩迦(サキャ)寺はチベット自治区薩迦(サキャ)県の奔波山に位置し、チベット仏教薩迦(サキャ)派の寺院であり、1961年、国務院に「全国の重点文化財保護部門」として指定された。
1073年、吐蕃(トバン)王朝の豪族昆(クン)一族の昆・貢却傑布(クンチョク・ギャルポ)は奔波山南部の山腹にサキャ寺を建立し、サキャ派が誕生した。
13世紀初め、成吉思汗(ジンギスカン)を始めとする蒙古部落が強大になり、武力によって中原を統一。1240年、元朝の闊端(クテン)、チベット出兵前に、各派の中で名声が高い薩班貢葛堅賛(サパン・ゴンガギェルツェン)の引見を希望。1244年、サパン・ゴンガギェルツェンが甥の八思巴(パスパ)を率いて涼州(現在の甘粛省武威)へ。1247年、サパン・ゴンガギェルツェンとパスパが涼州でクテンと面会、同時に、元朝の条件を受け入れるようチベット各派の高僧や豪族を説得。これによりチベットは正式に中国に組み込まれた。フビライは中国を統一し、中央政府を樹立した後、パスパを「国師」に封じ、全国の仏教関係の事務とチベットの管理を任せた。パスパは皇帝の命により、チベットの13万世帯の戸籍を調査し、法律を制定し、1268年にサキャで地方政権のサキャ王朝を樹立した。パスパは元朝の中央政府に所属するチベット地方の行政長官になり、サキャ派の勢力も最盛となった。
サキャ寺は仲曲(チュンジュ)河の両岸に建てられ、昔はサキャ南寺・サキャ北寺と呼ばれた。寺全体で40の建物があり、壮大な規模の寺院建築群である。
サキャ南寺は1268年に建てられたもの。当時、漢民族の職人も施工に参加した。その後数度の拡張や補修作業を経て、現在の規模になった。寺全体は平面が方形を呈し、高い壁に囲まれ、総面積1万4760平方メートルである。
サキャ寺は建立されて、すでに900年余りの歴史がある。その間、サキャ王朝は全チベットを70年余り統治したことがある。境内には、大量の文物が保存されており、中でも経書が最も有名である。サキャ北寺と南寺に所蔵される経典・書籍は2万4000点を超えるという。
このほか、サキャ寺には、元朝の中央政府から贈られた法衣、法器、服装品、装身具、宋朝以来の仏像、刺繍、供物、陶磁器などが所蔵されており、「第二の敦煌」と褒め称えられている。
「北京週報日本語版」2009年2月24日
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