(~ウェンナン先生行状記~)
斎藤文男(南京大学日本語学部専家)
教え子の学生4年生は、6月末までに全員が卒業していった。彼ら彼女たちは、3年生の「写作」の授業で、「こんにちはとニイハオ」という歌を作った学生である。歌の内容は、日中戦争時代に日本人残留孤児を育ててくれた中国人養父母に感謝をするものだ。私が作詞したものを教材として使い、それに学生が作曲して出来上がった思い出の歌だ。先日の“謝恩会”で、私のハーモニカの伴奏で全員が歌ってくれた。毎年今頃は、学生たちと別れる一抹の寂しさと学生の前途に期待する感情がないまぜになる季節だが、野鳥の巣立ちのシーズンでもある。ここ数日来、宿舎窓辺の“サンクチュアリ”には、巣立したばかりの幼鳥が、母親に連れられてやってくる。口を一杯に広げて母親からエサをもらって食べる姿は、学生が教室で知識を飲み込むように身につける姿に重なった。「これからは思いがけない困難や壁にぶつかるだろうけど、くじけず頑張れよ」。幼鳥と巣立った学生に、そう声を掛けたくなる光景である。
◇窓辺のサンクチュアリ◇
この春、宿舎3階の南側窓辺に、水を入れた水盤とパンきれを置いたら、いろいろな野鳥がやってくるようになった。今は野鳥たちも巣立ちのシーズンだ。母親に連れられて巣立ったばかりの幼鳥もやってくる。
「これを食べたらあとは自分で食べるんだよ」「わかったから早くちょうだい」スズメ親子の給餌
始めはスズメたちが遠慮がちに警戒しながら水を飲んだり、パンきれをついばんでいた。カササギがつがいで訪れたあとは、コジュケイの鳴き声に似た鳥がやってきた。日本のコジュケイは「チョットコイ、チョットコイ」と鳴くので知られているが、窓辺のサンクチュアリにやってくるのは、「チョイ」と始めに呼びかけるように鳴いたあと、「チョット ヨカッタラコイ、ヨカッタラコイ」「コイッタラコイ」のあと、「トッキョキョカキョク(特許許可局)」などの音が混じる。ネットの野鳥図鑑などで調べても日本のコジュケイとは少し違うようだ。後頭部に白いメッシュを決め込んで、胸は白か灰色で、羽全体は黒っぽい色だが羽先には黄緑色の模様をつけている。ちょっと見は地味だが、なかなかおしゃれな鳥だ。
野鳥が春から初夏にかけて子育てをするのは、この間、ヒナの養育に欠かせない蛋白源である昆虫類が豊富になるからだ。とくに蝶や蛾の幼虫はヒナの好物で栄養あるエサである。スズメの子育てには欠かせないもので、親スズメはこの間、必死になって蝶類の幼虫を巣に運んでいる。かって中国では1950年代、愛国衛生運動の「除四害運動」で、ハエ、カ、ネズミに加えスズメも駆除をした。スズメを駆除した結果、農作物の害虫が急激に増え、収穫にかなりの影響が出た。このため急きょソ連(当時)からスズメを移入したこともあった。スズメの“効用”が分かったあとは、ナンキンムシに代えられた。スズメは秋の収穫期に穀類を食べるが、育児中は害虫を食べる益鳥なのだ。人間の一方的な思い込みで、害鳥や益鳥と決めつけられないことが分かった貴重な体験だろう。
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