本誌記者 曾文卉
グレーのチベット風長衣に、濃い褐色の皮膚に引き立てられてキラキラと輝く目。51歳になる中国共産党員ツェリン・ドルジェ(次仁多吉)さん、頭にうっすらと白いものがみえる。彼はチベット自治区登山隊男子分隊の隊長。世界の8000メートル以上の高峰14座登頂という記録を打ち立てた登山隊のリーダー、アタッカーでもある。国際登山界では、公認の登山活動への参加数、登頂回数いずれも最多の著名な登山家だ。かつて「全国先進工作者」に2度選ばれ、「国家スポーツ栄誉褒章」を5度受けるなど、「雪山の雄鷹」「チョモランマ峰を横切った最初の人」と呼ばれている。
ツェリン・ドルジェさん (魏尭 撮影)
■初めての登山
ツェリン・ドルジェさんは1960年、チョモランマ峰麓のシガツェ(日喀則)に生まれた。父母はいずれも農奴。登山を始めたのは79年。ツェリン・ドルジェさんによると、初めは普通の農民にすぎなかったが、登山する任務があると、登山隊は彼らを呼び集め、1カ月訓練を受けてから一緒に登山し、物資を搬送した。「彼らは賃金をくれました。規定通り、物資を6000〜7000メートル地点まで運ぶと、それ以上は登りませんでした」
ツェリン・ドルジェさん次第に登山が好きになっていった。88年、中国と日本、ネパール3カ国が2方向からチョモランマ峰を越える計画では、優れた体質と登山能力が高く評価されて隊員に選ばれた。彼は中国を代表して初めて北斜面からアタックし、頂上に99分間とどまった後に南斜面から無事下山。当時の世界記録を樹立し、「チョモランマ峰を横切った最初の人」になった。
■体が不自由に
ここから、ツェリン・ドルジェさんの職業登山の生涯が始まった。だが、91年の秋、登山中に思いがけないことに遭遇。ナムチャバルワ峰を登攀中に登山隊は地吹雪に遭い、地吹雪で雪が吹き寄せられ、彼はやむなくその場で動かず雪を食い止め、後方の隊員に引き返すよう指示した。彼らが安全な地帯まで下るのを待つ間、彼の足は1時間余りも深さ1.1メートルの雪に埋もれたままで、両足の指は凍傷で壊死し、切断手術をしなければならなかった。
自らを犠牲にして人を救ったのはこれが唯一ではない。90年、中国・ベルギー合同登山隊を率いてシシャパンマ峰を登攀。任務を終えて下山していた時、彼が全力を尽くしたことで事故は免れた。シシャパンマ峰は普通の山ではない。海抜は比較的低いものの、頂上から下りるのが非常に難しく、体力が衰えていれば、ちょっとした不注意で滑って転びやすい。「下山していた時のことです。安全のために、私は隊の真ん中にいたのですが、上からベルギーの隊員が転がり落ちてきたのです。私はすぐにピッケルを地面に突き刺しました。目を閉じて何も見えず、ピッケルを突き刺していなかったなら、わたしたち5人はここにはいないでしょう」。ツェリン・ドルジェさんこう述懐する。
だが、体の不自由さが彼の登山人生を妨げることはなかった。92年、中日がナムチャバルワ峰にアタックした際、彼は再び登山隊に戻った。
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