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長野から世界へ、平和の尊さを発信する小さな記念館
本誌記者 陳煒  ·   2017-07-27  ·  ソース:
タグ: 残留孤児;長野県;社会
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記念館が伝えようとするもの

日本で最も多い約8400人の開拓団を送り出した長野県南部の飯田・下伊那地方では、それが故に戦後多くの中国残留邦人の帰国を迎えることとなり、地域行政と飯田日中友好協会、日中友好手をつなぐ会等の民間団体が共同で帰国支援活動を続けてきた。様々な事実が明らかになる中で、「満蒙開拓」の史実を語り継ぐことの重要性、そしてその拠点となる「満蒙開拓平和記念館」建設の必要性が確認されるところとなった。記念館の建設着手は「まず民間から」と、飯田日中友好協会が中核団体となり、2006年から建設事業に取り組み始めた。

「建設当初は、日中友好協会(全国本部)や民間個人からの協力、支援を受けながらも、寄付金不足や建設用地確保の難航など多くの困難に遭遇し、建設規模が事業計画より縮小することを余儀なくされた。それにもかかわらず、『満蒙開拓』の史実を残し、このことから学び、平和を語り継いでいかなくてはならないという強い思いは、私を含め記念館の構想に関わってきた誰もが同じであり、足かけ8年を要しながらも、この間一度も誰からも『もう止めよう』という言葉が出ることはなかった」。寺沢副館長は建設当初を振り返る。

「満蒙開拓」体験者の証言を読む参観者(陳煒撮影)

「これまで全国に専門館が一つも建てられなかったことも示す通り、戦後、『満蒙開拓』については一部を除いて余り深くは触れられてこなかった。その『満蒙開拓』という言わば『パンドラの箱』を開け、ここから何を、何のために発信していくのか。この問いかけは、構想当初から開館した今に至るまで続けてきたし、そして今後も続けられるだろう。その問いかけへの答えは、記念館の展示や様々な活動を通じて明らかにされていくものであることは言うまでもない。『満蒙開拓』の史実を通じて、戦争の悲惨さ、平和の尊さを語り継いでいくこと。『旧満州体験』、『満蒙開拓』体験を通じて日本人が何を学んだのかをアジアや世界に向けて発信していくこと。そして、『戦争』、『侵略』などの『負の遺産』を平和希求や国際交流などの『正の遺産』に置き換えていくことの英知が私たちには問われている。これまで『不都合な事実』として余り目が向けられなかった『満蒙開拓』という史実を今一度見つめ直すことにより、私たちはそれを明日のこの国の平和、世界の平和のために活かしていかなくてならない。不都合なことに目を背ける社会や国は必ずまた同じ過ちを繰り返す。だからこそ、例え不都合な史実であっても、そのことにきちんと向き合っていかなくてはならない。周恩来総理も引用した『前事不忘、後事之師』という言葉の通りである」。

来館した小学生などから寄贈された千羽鶴(陳煒撮影)
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