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長征、叙事詩のごとき道のり
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殷普民 · 2016-11-16 |
タグ: 長征;中国共産党;政治 | 印刷 |
遵義会議で、毛沢東を始めとするマルクス主義の正しい路線の党内における指導的地位が確立した。毛沢東は、紅軍が元の戦術を再び用いるよう促し、「北上して抗日戦を展開する」という長征の目的を強調した。
著名なイギリス国籍の中国系女性作家、韓素音(ハン・スーイン)は著作『毛沢東』(原題『The Morning Deluge)』)の中でこう書いている。「中国の紅軍や労農大衆の粘り強さ、勇敢な奮闘と不撓不屈の信念によって、長征は英雄的叙事詩となり、驚天動地の功績を立てた」。
勝利に向かって
計画は定まった。紅軍は四川省と甘粛省を抜けて、最終的に中国西北部の陝西省を目指した。中国共産党の革命根拠地がそこにある。
しかし、国民党軍もなんの行動も取らないわけではなかった。国民党軍は四川への道を封鎖し、紅軍を烏江と長江の間ではさみ撃ちにしようとした。国民党は紅軍が行軍する沿線に中央軍と地方軍閥の部隊を配備し、一撃で勝ちを制しようとした。
毛沢東の指導の下、紅軍は一方へ向かうと見せかけて別の方向に向かうなど機動的で柔軟な行軍戦略を取った。紅軍は絶えず迂回戦術を用いて国民党軍をきりきり舞いさせた。1935年5月、国民党軍が戸惑い、疲れ、混乱した好機を利用して、紅軍は金沙江を渡り、四川省に入った。
紅軍は大渡河の横断を強行し、瀘定橋を奪い取り、標高4000メートルの雪山の金夾山を越えて、四川省西部の懋功鎮に着いた。
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