
畢士悌
畢士悌(1898-1936)、本名は金勛(キム・フン)、朝鮮人。日本の統治に反抗したために日本の占領当局から指名手配され、中国に亡命した。1925年に黄埔軍校に合格し、中国共産党に入党。1927年8月1日、南昌の武装蜂起に参加した。1932年、中央ソビエト区に配属され、相前後して師長、軍長、軍団参謀長、軍区司令員等を務めた。1934年10月10日、紅軍と共に長征を開始。4月30日、部隊を率いて180キロ余りを強行軍で踏破し、皎平渡を奪い、紅軍主力の安全な金沙江渡河を保証した。1936年1月、黄河を渡る際に重傷を負い、それが原因で死去した。