李徳
李徳(1900-1974)、オーストリア人、コミンテルンが中国に派遣した軍事顧問。本名はオットー・ブラウン(Otto Braun)。1928年に旧ソ連のフルンゼ陸軍大学に入学。1932年にコミンテルン東方書記局に入り、1933年9月に中華ソビエト共和国中央軍事委員会軍事顧問に就任した。紅軍の作戦指揮において左傾冒険主義的な戦略戦術を取り、ゲリラ戦に反対。その結果、紅軍の第5回反「包囲討伐」は失敗に終わった。紅軍の長征開始時は、軍事面での3人の最高指導者のうちの1人だった。1935年1月、遵義会議で紅軍の指揮権を剥奪され、その後は紅軍の長征に同行して陝西北部に入った。