中文 | English | Français | Deutsch
 
 
ホーム 政治 経済 社会 中日交流 文化 文献 特集
ホーム >> 中日交流 >> 本文
  • descriptiondescription
于強氏 中日を題材とし日本の読者を感動させた長編小説
劉幸宇  ·   2018-12-13  ·  ソース:北京週報
タグ: 小説;文学;中日交流
印刷

上海市嘉定区に住む中日ハーフの朱さんは于強氏の小説を読み、彼に手紙を書き、小説の主人公らに比べ自分の運命は更に悲惨であり、自分のために本を書いてほしいと頼んできたのだ。そこで1995年、于強氏は上海に異動後、朱さんの家を何度も訪れ取材を行った。彼の境遇はまるで映画「人間の証明」が上海で再現されているようだった。朱さんの母親は15、16歳の時、嘉定に駐屯していた日本兵の深沢と結婚し、朱さんを産んだ。日本の敗戦後、深沢は日本に引き揚げることになったが、彼は将来朱さんらを迎えに来て共に日本に定住すると誓った。しかしそれから何の音沙汰もなく、朱さん一家の苦しい日々が過ぎた。中日国交正常化の後、朱さんは8年の時間を費やしてやっと父親の行方を探し出しが、深沢は既に改名しており、中国での結婚や朱さんの存在を認めなかった。朱さんはようやく当時深沢が母親に宛てた手紙を見つけ、その確固たる事実の前に深沢は朱さんが自分の息子であることを認め、朱さん一家が全員日本に定住できる手続きをすると承諾した。ところが深沢はまた裏切り、朱さんは大きなショックを受けた。それを見ていた朱さんの娘は将来日本に行き父親の正義を取り戻そうと誓った。

于強氏は朱さんの不幸な運命を基にノンフィクション小説『望断瀛泪』を書き上げ、その後それを改編した長編小説『花璀璨(邦題:桜の花の輝き)』を出版し、新華社、『人民日報』、『中国新聞』など十数社の主要メディアが本作品を紹介した。『人民日報』の海外版は「日本の侵略戦争が残した悪を暴露し、中日両国民の世代にわたる友好の必要性を提唱した作品である」とし、また『解放日報』は「中日両国民は歴史を鏡とし悲劇を繰り返さないよう呼びかけた作品である」と評した。 

花璀璨』は上海に住む日本の企業家、稲見春男氏の心を打った。彼はこの本を日本語に翻訳し友人らに渡した。これは校正後、『東北ネット』日本語チャンネルで連載された。

2011年3月、于強氏は日本の千葉県に住む親戚の家を訪れていた時、東日本大震災に遭遇した。その混乱の中で、創作のインスピレーションがふと湧き、中国人作家という視点で日本の被災地を見て僅かな資料を集めた。上海に戻った後、于強氏は宮城県女川町の佐藤水産株式会社の佐藤専務が自分を犠牲にして中国人研修生20名を救助したという感動的な話を基に、東日本大震災の中で日本人と中国人が互いに死をも恐れず気にかけ助け合い、国境を越えた愛を描いた長編小説『海生死情(邦題:津波、命がけの絆)』を執筆し、この作品は中日同時出版された。

上海市人民対外友好協会は『海生死情』の出版記念会を催した。当時の共同通信社上海支局局長だった辰巳知二氏は于強氏を取材し、「東日本大震災を経験した中国人小説家が日中両国友好のために新たな一章を綴った」と題する記事を発表し、20以上の日本の新聞社が記事を転載した。NHK上海事務局の塚本観知夫記者は于強氏を取材し、8分間の特別番組を制作し、この番組は英語チャンネルでも放映された。『読売新聞』、『毎日新聞』、『日経産業新聞』などのメディアも于強氏を取材し、社会的反響を生み出した。

大阪に住む読者である大敏子さんは于強氏に「現在このような日中関係に直面する中で、NHKで前向きな報道がなされて、心が温まりましたし本当に意義のあることだと思いました」との感想を送った。

中日を題材にした于強氏の5編の小説は中日の平和・友好という鮮やかな絵に更に濃い色彩を加え、中日文化交流に一際目を引く美しい花を添えたといえるだろう。残留孤児の友であり両国友好交流の架け橋である于強氏は両国文化交流の分野で筆を執り続け、中日の世代にわたる友好のために新たな章を描き続けることが期待されている。

(劉幸宇 吉林省作家協会・撮影家協会会員)

「北京週報日本語版」201812月13

前のページへ12
シェア:
リンク  

このウェブサイトの著作権は北京週報社にあります。掲載された記事、写真の無断転載を禁じます。


住所 中国北京市百万荘大街24号 北京週報日本語部 電 話 (8610) 68996230
  京ICP备08005356号-4 京公网安备110102005860

中国語辞書: