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四川大地震からちょうど10年 被災地の北川県を日本の救援隊隊員が再訪
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· 2018-05-22 · ソース: |
タグ: 地震;日本救援隊;中日交流 | 印刷 |
今後も中国と協力して防災活動を
糟谷さんは、長年、緊急救援活動に携わっており、15年には、各国の救助チームの能力を評価するIER(INSARAG External Re-Classification)を受験する国際緊急援助隊救助チームの副リーダーと訓練責任者を務め、17年からはJICA中国事務所の副所長として中国で勤務している。
北川新城区を歩いた糟谷さんは、きれいな街並みや立ち並ぶ家屋を見て、「中国のスピード」に驚いたという。北川県城旧址は、災害がもたらした傷を忘れることがないよう、地震遺跡として今も保存されている。糟谷さんはこの方法に賛同を示し、「防災意識を高めることは、中国の災害分野において非常に大切。地震が多発する日本と異なり、中国は広く、地理的環境も場所によって異なる。四川の人々は、四川大地震や雅安地震を経験しているため、防災対策の重要性をよく認識していると思う。でも、中国全体を見ると、災害は自分とは関係ないと思っている人もいるだろう。しかし、災害が起きた時、自分は何をすべきなのか、みんなが知っているべき」との見方を示す。
糟谷さんによると、15年から、JICAは四川で、「減災教育・能力建設モデルプロジェクト」を実施しており、雅安の対象となった学校102校で、防災教育や安全訓練を展開し、今後は中国全土でそのプロジェクトを実施する計画という。
その他、四川大地震が生じてからこの10年の間に、JICAは中国国家地震局や住房・城郷建設部(省)、四川林業庁、中華全国婦女聯合会などと共に、地震時の緊急救援能力の強化、耐震性を備えた建物、被災地の森林回復、カウンセラーの育成などの面で技術協力プロジェクトを展開し、中国の防災、減災、救援能力のさらなる向上を図ってきた。糟谷さんによると、11年に東日本大地震が発生した際、中国も国際救援隊を日本に派遣した。中国と日本は隣国で、互いに支援し合うのは当然のことだからとその理由を話す。
取材を受けた後、中島さんは東京に戻り、災害医療の研究を引き続き行うという。阪神大震災が起きた当時、まだ医大生だった中島さんは、緊急時に仕事を任せてもらえる医師になることを志し、急救センターの外科医となって、JDRの隊員に申し込んだ。四川大地震後、中島さんは一人の力には限りがあると気付き、日本の国際医療チームの訓練マニュアルを改訂して、訓練ガイドを製作し、関連の専門スタッフを指導するなど、災害医療に取り組んでいる。中島さんの目標は、「病院をもっとよくし、もっと素晴らしい医師を育成し、一人でも多くの人を救うこと」だという。(編集KN)
「人民網日本語版」2018年5月21日
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