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大震災から8年 難航する東北被災地の復興
  ·   2019-03-13  ·  人民網
タグ: 地震;復興;社会
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3月11日、宮城県石巻市。震災犠牲者を哀悼するため捧げられた花束。

2011年3月11日、日本の東北地方沿岸でマグニチュード(M)9.0の大地震が発生し、それに伴い巨大な津波も起こり、約1万6千人が犠牲となり、2533人が行方不明となった。震災から8年が経ち、多くの被災地ではインフラが再建されたが、今もなお数千人の被災者が仮設住宅での生活を強いられており、原子力事故の影響で、今も自宅に戻ることができない福島の人々も大勢いる。新華社が伝えた。

宮城県沿海の被災地では、大津波による被害を思い出させるような光景はすでに見られなくなっており、沿岸の土地は整備され、あちこちで防波堤や道路の建設が進められているが、新たに敷設された道路の多くは、まだカーナビシステムで更新されていない。

宮城県の有名な漁港・女川町では、海から吹く風は穏やかで、海岸沿いの鉄道を走るミニ列車も運行を再開している。海辺からほど近い場所にあった町役場や駅、商業エリアなども全てリニューアルされ、災害後から建てられた公営住宅も全て完成している。

東日本大震災の影響で、同町の住民約8千人のうち900人以上が死亡または行方不明となり、震災による住民の死亡率が最も高い地区の一つだった。11日午後、同町の体育館で、「東日本大震災女川町追悼式」が開かれた。時計の針が地震発生時刻の午後2時46分をさすと、追悼式に出席していた数百人の人々が一斉に起立して黙とうをささげ、犠牲者を悼んだ。挨拶に立った宮城県の村井嘉浩知事は、「8年前の今日、巨大津波は女川町に壊滅的なダメージをもたらし、多くの住民が身内を失い、今もなお深い悲しみの中にいる」と述べた。

大震災から8年が経った今でも、東北三県では、5万人以上が避難生活を余儀なくされ、うち約3千人は仮設住宅で生活している。

雨がザーザーと音を立てて降るなか、宮城県石巻市にある仮設住宅は、静寂に包まれていた。仮説住宅管理事務所の職員は、「ここは、石巻市最大の仮設住宅であり、今では17世帯しか残っておらず、住人のほぼ全員が高齢者だ。今月末、この仮設住宅も閉鎖される予定で、最後まで残った少数の被災者は、今後、低家賃で入居できる公営住宅への入居を役場に申請するしかない」と紹介した。

大震災で犠牲になった人は、福島県民が最も多いわけではないが、福島の原子力発電所事故によって、多くの県民が故郷を離れることを強いられた。日本政府がこのほど実施した調査から、今もなお、日本人の約13%が、食品を購入する際に、福島産か否かを気にしているとの結果が出ている。

福島の東電第一原子力発電所から約10キロメートル離れた富岡町では、すでに避難指示は解除されたが、もともと1万人だった同町の人口のうち、自宅にもどったのはわずか800人あまり、その多くが高齢者だった。故郷に戻った後、彼らは、日常生活において、外出・買い物・診療などさまざまな点で困難に直面しており、震災以前の社会関係も解体しつつある。(編集KM)

「人民網日本語版」2019年3月12日

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