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四川大地震で片足を失った少年、努力重ね「キングオブダンス」に
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· 2020-05-14 · ソース:人民網 |
タグ: 地震;若者;社会 | 印刷 |
今から12年前、当時15歳で中学2年生だった謝海峰さんは、突然襲来したマグニチュード(M)8.0 の四川大地震で、片方の膝から下を失った。その後10年間にわたり、謝さんは、障がい者芸術団や四川省歌舞劇院に入団し、変臉(四川省の伝統劇・川劇内で披露される伝統技巧)や長嘴壺茶芸(カンフー茶芸=やかんや急須を使ったパフォーマンス)、ダンスなどのスキルを習得した。ダンスの練習では、義足を3本もダメにしてしまうほど努力を重ね、持ち前の気力と粘り強さによって、人とは違う人生を手に入れている。「これまでに私を助けてくれた心ある全ての人々に感謝している。また、私自身の頑張りについても自負している。災害に打ちのめされなかったどころか、片方が義足でも、こうやって駆け回ることができるのだから」と謝さんは話す。紫牛新聞が伝えた。
地震が起こった年、謝さんは青川木魚鎮中高一貫校の中学2年生だった。2008年に発生した大地震のことを振り返り、謝さんは、「揺れたのはわずか数十秒間だったが、その瞬間のことをはっきりと覚えている。その時、私たちは寮の建物内にいたが、同級生と一緒に外に飛び出した。その瞬間、後ろの建物がペシャンコに潰れた。私は逃げる途中で転んでしまい、その後、キリキリとした痛みを感じた。ふと後ろを振り返ると、左脚の膝から下がなかった」と話した。
それから十数日後、謝さんは、他の地震による負傷者と共に、深センにある病院に搬送されて治療を受けた。彼は、膝から下を切断する手術を受けた。片足を失った謝さんは、長い間、落胆と失意の日々を過ごした。そんなある日、心あるアスリートたちが病棟を訪れた。「その中のひとりのアスリートが、私の眼の前で何周か歩いて見せた。彼は私に、彼が他の人と違う点があるかどうかと尋ねた。私はその時、どんな違いがあるのか全く分からなかった。すると彼はズボンの裾をめくって脚を見せてくれた。彼の脚は、私と同じように、本物の脚ではなく、義足だった」と謝さん。「その時、すごく驚いたが、それ以上に衝撃をうけた。心に突然、大きなパワーが沸きあがって、自分のこれからの人生に対して希望を感じた。片足を失っても、普通に歩けるだけではなく、アスリートにだってなれるのだと思った」と謝さんは続けた。
2010年、謝さんは四川省の成都市障がい者芸術団に入団し、「変臉」を学んだ。このプロセスで、彼は徐々に自信をつけていった。「2010年5月12日、四川大地震から2年後に、私は初舞台を踏んだ。その時、観衆から大きな拍手と歓声を受けたことを良く覚えている。その時突然、全身に力がみなぎり、とても不思議な感覚を覚えた」と謝さんは回想した。
2012年初め、「変臉」の大家・彭登懐氏から推薦を受けた謝さんは、四川省障がい者芸術団に入団した。その年、彼は19歳になっていた。
「19歳でようやくダンスを学び始めた。ダンスなんて、私にとっては全く予想もしなかったことだ。というのも、ダンスに関しては全くゼロからのスタートだったから」と謝さん。芸術団は当時、「舞の夢」というダンスを、彼の経歴を題材としてリメイクした。彼は当時、朝の7時か8時に稽古場に出かけ、深夜までダンスの基本を学んだ。「義足が自分の肉と接触する部分が擦れて痛んだ。それは形容できないほど耐え難い痛みだった。半年の間に、練習で義足を3本ダメにした。当時はまだ若かったので、一日中練習が続くと、ダンスという道になぜ『誤って入って来てしまった』のかと思うようになり、苦しくて堪らなくなると、こっそり身を隠してむせび泣いた。だが、練習を重ねるうちに、そのような痛みにも慣れてきた。そして、ダンスの道を選んだのだから、耐え抜く必要があると、自分自身に言い聞かせ続けた」と謝さんは振り返った。
ダンス「舞の夢」の公演は、非常に大きな反響を呼び、さらに多くの注目を集めるようになった。謝さんは、舞踏団とともに、シンガポール、中国香港地区、中国マカオ地区などで公演を行った。2013年、謝さんが出演したダンス「車椅子のステップ」は、「第8回全国障がい者パフォーマンス金賞」を受賞した。
2016年末、謝さんは、四川省歌舞劇院の劇団員入団テストを受けて合格し、ダンサーとして入団した。2017年、著名ダンサーである金星氏が謝さんの踊りを観る機会があり、謝さんのポジティブで力強い、ダンスに対する熱意が金氏の心を動かした。同年7月、彼は金氏に招かれ、上海金星舞踏団でモダンダンス専攻の学費免除特待生となった。
「私は今では、健常者と全く同じ生活をすることができる。もはや他人の眼を気にすることはなくなったし、他人が私を見る眼にも、同情の色が浮かぶこともなくなった。いささかの好奇心はあったとしても」と話す謝さんは、自信を持ってショートパンツ姿で成都の街を闊歩している。さらには、模様入りのソックスカバーを義足に着けて、「さまざまなデザインの義足ショーができて、クールだと思わない?」とユーモラスに話した。
将来、彼は、自分のダンススタジオを作ることを夢見ている。「現時点では、まだ経験不足だ。まず、別のダンススタジオで代講を務め、経験を積みたい。遠くない将来、自分のダンススタジオと持つという夢を必ず実現したい!」と抱負を述べた。(編集KM)
「人民網日本語版」2020年5月14日
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