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南京に暮らす日本人たちの生き様(二)
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· 2017-01-22 · ソース: |
タグ: 南京;日本人;中日交流 | 印刷 |
2016年12月13日午前9時58分、石川果林さんは、教室で大学日本語学科学生の試験答案を添削していた。答案用紙は山積みになっていた。2分後、耳をつんざくような大きなサイレンが鳴り響いた。(文:中国青年報 蘭天鳴)
彼女は、この都市の痛ましい記憶が詰まった記念館から14キロメートル離れた場所にいた。デルタ地帯にある中国侵略日本軍南京大虐殺遭難同胞記念館の形は、軍刀の刃先のような形をしており、莫愁湖観光区の方を指しており、同時に80年前のあの大惨事についてを表している。それはまるで、音無き「サイレン」のようだ。
サイレンの音を聞いて、彼女はようやく、この日が南京大虐殺犠牲者国家追悼日であることを思い出した。最初、彼女の心に思い浮かんだのは自分の子供のことだった。いつもこの日が訪れると、話すときに小声で、耳の下で巻き髪にした、やや青白い顔をしたこの母親は、学校に電話して、子供たちと一緒に家の中で過ごすことにしていた。だが、彼女はすぐに我に返り、「ここ何年も、何も起こっていないわ」と自分に言い聞かせた。60秒間の長いサイレンが鳴りやむと、授業の始まりを告げるベルが鳴り響いた。
石川さんは南京で暮らして17年になる。3人の子供がいて、うち2人は中国籍を持っている。中国では子どもは2人まで生めるとしているため、もう1人は日本籍になった。ここ数年、彼女はますます孤独感を募らせている。彼女のように中国人のもとに嫁いだ日本人女性の中には、嫁姑関係がうまくいかず離婚した人がいる。また、子供の教育のために日本に帰国した人もいる。彼女の周りに残った知人・友人は、ほんの2、3人となった。
「『南京人は日本人が好きではない』-こう思っている日本人は多い。だから、子供や妻をつれて南京に住んでいる人は極めて少ない。多くの日本人が、上海、蘇州、無錫で仕事をすることを好む傾向にある」彼女はこのように話した。
2000年、石川さんが初めて南京の土を踏んだ時、3年で帰国するつもりだったという。この年、日本の「新しい歴史教科書をつくる会 」が文部省(当時)に2冊の教科書検定を申請、日本が戦争中に行ったさまざまな戦争犯罪を覆い隠そうとした。同年、中国国務院の朱鎔基総理(当時)は、東京にあるテレビ局の放送室で日本の民衆と対話した。朱鎔基元総理は、「誰しも歴史を忘れてはならない。歴史を忘れることは裏切り行為に等しい。歴史を直視し、未来に対峙すべきだ。歴史から教訓を得て、過ちを繰り返してはならない」と強調した。
だが、当時の石川さんは、中日関係に注目する暇などなかった。彼女が小さい頃学んだ「南京大虐殺」は、教科書に小さく書かれた目立たない事件に過ぎなかった。
当時の彼女は、切迫した問題を抱えていた。「日本語を教える外国人教員として、どの国で日本語を教えるべきか?帰国後はより良い仕事に就けるのだろうか?日本で日本語を学ぶ中国人も多いし...」。最初、彼女は瀋陽に行くつもりだった。だが、仕事をすることになっていた日本語学校が突然閉校してしまった。「荷物の準備も終わり、部屋の賃貸契約も打ち切った。ビザも降りたのに、一体どうすれば良いのだろう」―彼女は途方に暮れた。
「南京に来ないか?」と彼女に提案する人がいた。彼女は深く考えずにその提案を受け入れた。この時の選択によって、彼女の運命は大きく変わっていくことになる。
授業を受け持った大学で、彼女は建築学科で教える、地元の男性教員と知り合いになり、恋愛関係となった。彼女は帰国するタイミングをずるずると延長した。ついに彼女は、「南京で結婚したい。日本には戻らない」と家族に打ち明けた。だが、両親からは、「帰ってこないのなら、もううちの娘ではない」と非情な返事がかえってきた。その時から、両親から娘に電話をかけることはなくなり、娘に会いに南京へ行くこともしなくなった。男性側の両親も結婚に反対だった。親戚の多くが、「日本人は単なる友達なら良いが、結婚はやめた方が良い」と男性を説得しようとした。
このように、国籍を超えた恋人たちと双方の実家との膠着状態は続いた。
ある日、石川さんは夫の祖母に会う機会があった。南京人の祖母は、1937年の南京大虐殺の時、南京から逃れた経験がある。高齢のため耳が遠くなった祖母は、ソファに小さくなって座っていた。石川さんは、祖母の耳元で、「おばあちゃん、あなたの孫が日本人女性と結婚しても構いませんか?」と尋ねた。
「あの時、祖母が受け入れてくれなかったら、私は結婚を止めるつもりだった。彼女は日本人の残虐な行為を自分で目にしており、それに加えて中国人は家庭を非常に大切にする民族だったから」と石川さんは当時を振り返った。
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