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「中国は南中国海における中国とフィリピンの紛争の話し合いによる解決を堅持する」白書(全文)
  ·   2016-07-13
タグ: 南中国海;白書;政治
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(三)南中国海諸島に対する中国の主権は国際社会で広く認められている

45、第二次世界大戦終結後、中国は南中国海諸島を取り戻し、主権の行使を回復し、世界の数多くの国は南中国海諸島が中国の領土であることを認めている。

46、1951年、サンフランシスコ対日講和会議は、日本が南沙諸島と西沙諸島に対する全ての権利、権原および請求権を放棄すると規定した。1952年、日本政府は台湾、澎湖列島および南沙諸島、西沙諸島に対するすべての権利、権原および請求権を放棄すると正式に表明した。同年、当時の日本の外相であった岡崎勝男自らが署名し推薦した『標準世界地図集』の第15図『東南アジア』の中には、『サンフランシスコ講和条約』で、日本が放棄しなければならないと規定された西沙、南沙諸島および東沙、中沙諸島の全てが中国に属すと標示されている。

47、1955年10月、国際民間航空機関(ICAO)はマニラで会議を開き、米国、英国、フランス、日本、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、タイ、フィリピン、南ベトナムと中国の台湾当局が代表を派遣して出席し、フィリピンの代表は会議の議長、フランスの代表は副議長であった。会議で採択された第24号決議において中国の台湾当局が南沙諸島で気象観測を強化することを要求した。これに対して会議ではいかなる代表も異議あるいは留保を提起しなかった。

48、1958年9月4日、中国政府は『領海に関する中華人民共和国政府声明』を発表し、中国の領海の幅員は12カイリであると宣言し、また「以上の規定は中華人民共和国の一切の領土に適用し、……東沙諸島、西沙諸島、中沙諸島、南沙諸島およびその他の中国に属する島嶼を含む」と明確に指摘した。9月14日、ベトナムのファン・バン・ドン首相は中国の周恩来総理に送った覚書で、「ベトナム民主共和国政府は中華人民共和国政府の1958年9月4日の領海決定に関する声明を認め、これに賛同する」、「ベトナム民主共和国政府はこの決定を尊重する」と厳かに表明した。

49、1956年8月、米国の台湾駐在機構のドナルド・ウェブスター一等書記官は中国の台湾当局に対し、米国の軍人が黄岩島、双子群礁、景宏島、鴻庥島、南威島などの中沙、南沙諸島の島嶼・礁で地形測量を行うつもりだと口頭で申請した。中国の台湾当局はその後、米国の申請に同意した。

50、1960年12月、米国政府は中国の台湾当局に、書簡で米軍の人員が南沙諸島の双子群礁、景宏島、南威島で実地測量することの「許可申請」をした。中国の台湾当局は米国の上述の申請に同意した。

51、1972年、『中華人民共和国政府と日本国政府の共同声明』の中で日本は『ポツダム宣言』第8条の規定の順守を堅持すると重ねて表明した。

52、フランス通信社(AFP)の報道によれば、1974年2月4日、当時のインドネシア外相のアダム・マリクは、「もしわれわれが現在発行されている地図を見てみれば、その図にあるパラセル諸島(西沙諸島)とスプラトリー諸島(南沙諸島)は全て中国に属していることがわかる」。われわれは一つの中国しか承認していないので、「これはわれわれにとって、これらの諸島が中華人民共和国に属していることを意味している」と表明した。

53、1987年3月17日から4月1日まで開催された、ユネスコ政府間海洋学委員会(UNESCO/IOC)第14回会議は、当該委員会の事務局が提出した『全球海面水位観測システム実施計画1985-1990』(IOC/INF-663 REV)について討議した。当該文書は西沙諸島と南沙諸島を全球海面水位観測システムに組み込むよう提言し、またこの二諸島は「中華人民共和国」に属すると明文化している。当該計画を執行するために、中国政府は南沙諸島と西沙諸島上の各1つを含む、5つの海洋観測ステーションを建設することを委任された。

54、南中国海諸島が中国に属するということは早くに国際社会の普遍的な認識になっている。多くの国で出版された百科事典、年鑑と地図は全て南沙諸島を中国に属すると標記している。例えば、1960年アメリカのワールドマーク出版社が出版した『ワールドマーク諸国百科事典』、1966年日本の極東書店が出版した『新中国年鑑』、1957年、1958年と1961年にドイツ連邦共和国で出版された『世界大地図集』、1958年にドイツ民主共和国で出版された『地球と地理地図集』、1968年にドイツ民主共和国で出版された『ハク世界大地図集』、1954年から1959年までソ連で出版された『世界地図集』、1957年にソ連で出版された『外国行政区域区分』付図、1959年にハンガリーで出版された『世界地図集』、1974年にハンガリーで出版された『図解本世界政治経済地図集』、1959年にチェコスロバキアで出版された『ポケット世界地図集』、1977年にルーマニアで出版された『世界地理図集』、1965年にフランスのラルース出版社が出版した『国際政治経済地図集』、1969年にフランスのラルース出版社が出版した『ラルース現代地図集』、日本の平凡社が1972年と1983年に出版した『世界大百科事典』の付図と1985年に出版した『世界大地図集』、および1980年に日本の国土地理協会が出版した『世界とその国々』の付図などがそれである。

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