さいきんは、いろいろな機会に各地のシンクタンクの人たちや、ジャーナリストたちとおつき合いする機会に恵まれているが、筆者個人としても、「なるほど、そういう発想、そういう切り口もあるのか」とうならせられることがよくある。
このところ、中国西部の寧夏回族自治区が成立50周年を迎えるということで、筆者が30数年間勤務していた北京週報からも取材班が送り込まれているが、筆者も側面からその周辺のイベントに顔を出してきた。そこで感じたことは、「西部イコール後進地域」という考え方は徹底的に切り換えなければならない、ということだ。
寧夏回族自治区は、国外ではあまり知られていないし、中国人の中では銀川がその首府であることを知らない人もいる。これはもちろん、内陸部の人たちが国外との直接の触れ合いの機会が少ないせいで、自分たちのことをPRすることにあまり注力していないこともあるが、また、全般的に言って、中国の大手メディアも、北京、上海、広州といった地域の「ニュース多発地域」のことをよく取り上げ、黙々と着実に一歩一歩前進をとげている西部についての注目度が欠けていることとも関連があろう。
寧夏には、日本の著名な工作機メーカーが進出しており、そしてかなりいい実績を上げていることを知っている北京、上海、広州の人はごく少数であろう。
さらに、農産物、副業生産物の精加工によって、世界に10数億人はいると言われるアラブ世界の広大な市場をターゲットにしてその開発に注力しつつあることも、ほとんど知られていない。太平洋の彼方の市場のみに気を取られている間に、こっちはエネルギー資源の宝庫、古代シルクロードでなが年深い関係にあった中央アジアもアラブの世界もマーケットとしてとらえれば、中国の西部もテイクオフのペースを早めることになるにちがいない。
そして、国外で喧伝されている中国における「水不足」の問題も、流域プランニング、スプリンクラー灌漑、点滴灌漑、中水の有効利用、乾燥に適した作物の栽培などを総合的に実施すれば、上手に解決できる。
また、寧夏では一大物流センターの構築も構想されており、さらに交通ルートの合理的な配置に注力するならば、発展のペースが大きく加速されることはまちがいない。
さらに視野を南の方へ広げるならば、ダレーター・メコン川ビックプロジェクトなどの実施で南の方への開放も加速されることになっている。発想を転換すれば、もしかしたら西部の人たちは宝の山の上で暮らしているのではないか、と言っても過言ではない。
今や、東部、中部、西部、東北部、天津浜海地区で、碁盤の上の布石が完了間近かにある。大きなシンフォニーの演奏を予感する状況にある中国は、今秋開催が公表されている重要会議で次の30年のグランド・デザインが描き上げられることになっている。国際経済情報の波動などの不確実性が存在するにもかかわらず、前の30年に育ぐくまれた中国の特色のある市場経済をハンドリングする人材が多数存在する昨今のこと、困難はあろうが、展望は明るい。発想を転換することで前進していくことが肝要である。
そして、さらにつけ加えるならば、「外からの眼」を導入することも、ときには大きな役割を果たすということだ。地元の人間だけでは、「灯台もと暗し」ということになりかれないからである。
「北京週報日本語版」2008年10月9日 |