東西変奏
中国が実施している対外開放政策は東部沿海地区から始まった。経済発展のために、中国中央政府は「東部沿海地区から発展させる」戦略を打ち出し、1984年に東部沿海地区の大連、天津、上海、温州、広州など14都市を開放都市とし、内陸部とは異なる優遇政策を実施して外資を誘致してきた。
この政策の正しさは後の30年余りの中国経済成長によって証明された。東部沿海地区は目覚しい発展を遂げ、環渤海、長江デルタ、珠江デルタの3つの経済圏が形作られ、中国経済の持続的急成長をけん引する核心エリアとなった。2008年、東部地区のGDPは全国の54.3%を占め、1978年から10.9ポイント上昇した。
現在、寧夏回族自治区の節水灌漑面積は約29万ヘクタールに達している。写真は寧夏塩池県内のジャガイモ畑で節水設備を使って放水作業を行う様子 (劉泉竜撮影)
東部地区の経済が発展する中で、中国にはさらに天津、上海、広州、深圳など多くの国際的大都市が出現し、中国社会と中国人の生活スタイル、思想観念に極めて大きな変化をもたらした。
東部地区が発展していくにつれて、中西部地区は明らかに立ち遅れていき、中国の地域経済発展格差がますます広がっていった。大量の外来労働者が東部沿海地区へと流れ込んだ。貧富の差は教育や医療、住居、交通などの面での不公平さも生み出し、さらなる社会矛盾の発生を招いた。
こうした状況を変えるために、1990年代以降、中国政府は西部大開発、東北老工業基地(古い工業地帯)の振興、中部地区崛起の促進など一連の重大施策を相次いで打ち出した。これらの政策により中西部地区の発展はおおいに勢いづき、主要経済指標の成長率はすぐに東部地区に近づいていった。
中国社会科学院のデータによると、2006~2010年の5年間、西部地区の経済成長はずっと全国平均水準を上回り、5年間の西部地区総生産額の平均成長率は13.9%で、全国平均より0.9ポイント高かった。
「西部地区は経済成長スピードが速く、変動幅が比較的小さく、安定性が高く、マクロ経済運営の潜在リスクが比較的小さく、持続的かつ安定した高度成長が保たれた」。『中国西部経済発展報告2011』では、2006~2010年の西部地区の経済発展をこのように高く評価している。
中西部地区の経済が急成長するのと同時に、東部地区の経済は2008年の国際金融危機で厄介な事態になったり、打撃を被ったりした。
東部地区は当初から初期加工品の輸出に大きく依存する経済成長モデルを採用しており、国際需要から決定的な影響を受けるほか、ハイテク製品も少なく、ほとんどが労働集約型の産業であり、低廉な価格で利益を稼ぐモデルであった。こうしたモデルでは、製品の製造において人件費や材料費などの経費が増えると、東部地区の経済はたちまち打撃を被ってしまう。
2008年に発生した国際金融危機で、中国の輸出は大幅に減少し、ひいてはマイナス成長に陥りすらした。金融危機に対抗するため、米国は量的緩和策を取り、中国は4兆元の経済刺激計画を打ち出した。これにより国際・国内通貨の流動性が極めて過剰となりインフレが発生、原材料価格が上昇しただけでなく労働力コストまで上がってしまった。これに加えて、東部地区にはすでに利用可能な工業用地が少なくなっていた。そのため、この2年で東部沿海地区の「労働者不足」、「電気不足」、「用地不足」がますます深刻化している。
こうしたことが原因で、中国東部地区のGDP成長は鈍化し、2009年には大幅な下降すら見られた。2009年上半期から、西部地区GDP成長率が全体的に東部地区を上回り始めた。
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