本誌記者 陳ラン
「姉さん、声に色があるって本当?」
「本当よ」
「じゃあ、姉さんの声は何色?」
「うーん……たぶん金色の縞模様だわ。私の声は青と紫が半々だって先生は言ったけど……」
07年のある日、山東省青島市盲人学校放送センターの高校3年生、宋瑩さんは自分が司会しプロデュースした校内番組を聞いていた。彼女はそのときには1年後の今日、自分が北京の某放送番組の編集記者になるとは思ってもみなかった。
1988年、宋瑩さんは山東省徳州市に先天性の視覚障害者として生まれた。視覚障害が深刻で勉学に影響したため、小学校4年生のときに普通学校から盲学校へと転校。
「新しい学校で点字を学び始め、新しい友だちもできた。一番大きなことは、クラスメートに影響されて放送を聞く勉強を始めたこと」と宋さんは言う。
数年後、すでに高校生となった宋さんは、課外時間に学校の放送センターで番組を制作し、その司会を担当するまでになった。
07年、視覚障害者のために開催された放送サマーキャンプに参加した彼女は賞を受賞。今年の夏には北京聯合大学特殊教育学院に採用され、5年制の鍼灸・マッサージを専門に学ぶことになった。
「昨日、入学手続きを済ませて他の14人のクラスメートと会った。すぐに大学生活が始まると思うとワクワクするわ」と彼女は話す。
8月初めに北京に来た宋さんは、『心の映画館』という放送番組の編集兼記者を担当している。これは、全国でただ1つ、身障者のために身障者が制作する、映画の「語り聞かせ」番組だ。07年に彼女が参加したサマーキャンプも、この番組の制作グループが開催したのだった。サマーキャンプ主催者の北京紅丹丹教育文化交流センター(以下「紅丹丹」)は、03年7月に元テレビ番組プロデューサーの鄭暁潔さんが発起人となって設立した組織で、視覚障害者に向けてメディア制作技能の訓練と情報提供サービスを行うNPOだ。
鄭暁潔さんの夫である王偉力さんは05年から『心の映画館』のメイン司会者を務めているが、彼が映画を語り聞かせるようになったきっかけは偶然の出来事だった。
04年夏、ある視覚障害者の夫婦が王さん宅を訪れた。ちょうど王さんがアメリカ映画『ターミネーター』を観ていたときだった。そこで、王さんは映画のストーリーを夫婦に語って聞かせる役を自ら買って出たのだった。
王さんと鄭さんの夫妻は、視覚障害者に映画を語り聞かせることはとても意義のあることだと考えた。映画の「語り聞かせ」は主に、語り手が声音(こわね)で映画の中の視覚情報を描写し、言葉と映画の音響効果を結びつけることで、視覚障害者が健常者と同じようにストーリーを楽しみ、ディテールを理解するのを助けるものだ。
こうして、王さんは紅丹丹の専従ボランティアとなり、05年に『心の映画館』が正式にスタート、毎週土曜日の午前9時から12時まで映画を1本放送することになった。
「語り」の効果をあげるため、王さんは1本の映画を少なくとも3回は観たうえでメモをとり、語りの山場となる部分を際立たせる努力をしている。さらに彼は、双方向の体験活動を組織し、健常者を映画館に招き、目隠しをして視覚障害者が映画を「聞く」感覚を体験してもらい、そこからよりよい語り聞かせを行うヒントを得ている。
視覚障害者の陳国楽さんは「以前は映画にあこがれるだけで、それを想像することすらできなった。『心の映画館』は私の知識を広げてくれた」と語る。また同じく視覚障害者の張輝則さんは「映画がある限り、何をおいても必ず聞きに来る」と言う。
この2年間で『心の映画館』はすでに100回の放送を行い、75万人近くの人がこれを聞いた。放送に促されて『心の映画館』の現場での仕事も熱を帯び、参加した視覚障害者は延べ3356人、ボランティアは延べ768人に達し、映画の語り聞かせ活動は108回に及んだ。また、視覚障害者向けの語り聞かせ養成講座を9回開き、214人の人が語りの基本的知識やコツなどを学んだ。このほか、『心の映画館』は現場での語り聞かせを天津、石家荘でも行い、200人以上の視覚障害者がこれを聞いた。
8月8日夜8時、王さんと友人の北京テレビ局司会者、曹一楠さんは10人の視覚障害者のために北京五輪開幕式の実況解説を行った。9月6日に北京パラリンピックが開会してからは、王さんは競技場で数百人の視覚障害者のために解説を行っているという。
かつて王さんは、視覚障害者の職業はマッサージ師に限定されるのでなく、その仕事はもっと広がるべきだと指摘した。
「ひょっとしたらある日、私も放送局の司会者になるかもしれない」と言う宋さんは、「その目標を実現するためにインタビューのテクニックを磨き、専門知識をもっと勉強し、標準語を練習しなくちゃ」と語った。
「北京週報日本語版」 2008年9月17日 |